「真逆」はいけないか
先日の読売新聞夕刊の「いやはや語辞典」という連載で、作家の高田宏氏が「真逆」という言葉について書いていた。この言葉が、若者の間で流通していることへの違和感が書かれている。当然、これまでの日本語では「正反対」だ。実は自分も大学の授業の際に、学生の発表やレポートでこの「真逆」という言葉に出会うことが多い。
「小津安二郎の演出は、黒澤明とは真逆である」という類の文章に、本当にしばしば出くわすのだ。そんな時、私は「正反対」と直して返す。
「真逆」以外で気になるのは、「わたし的には」「いまいち」「まんま」「すごく」「ビシビシ」「グロい」「超~」あたりだろうか。これらは口頭ではなく、本当に文章で書いてくる。そんな時に「メールやブログはいいけど、レポートや論文ではダメ」と言い、「このような書き方では就職のエントリーシートや小論文は通らない」と脅す。本当かどうか知らないが。
もちろん「正しい日本語」なんてない。言葉は時代によって変化する。高田宏氏も書いている。「だが、そのうち『まぎゃく』を見出し語に採用する国語辞典が出てくるかもしれない。通じにくくなった『正反対』をほそぼそと使うしかないだろう」。
それでも大学の教師の役割の一つは、「大人社会で通用する言葉遣い」を教えることにあると思う。言葉に限らず、保守的な大人や社会に表向きあわせることを知ることが、社会を生き抜く上で必要だからだ。
それにしても、このブログをお読みの方はおわかりのように、私の日本語は大ざっぱで、とても人に教えられるものではない。「真逆」という言葉が出てくるたびに顔をしかめている自分が、滑稽にも見えてくる。
そもそも自分自身が、「保守的な大人や社会」にあわせられなかったわけだし。
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