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2010年11月13日 (土)

東京国際映画祭:その(6)新聞評など

東京国際映画祭が終わった直後に海外に行っていたので、新聞がどうまとめたかを読んでいなかった。ようやく図書館で比べて読んでみて、本当に大事なことがあまり書かれていないことに、今さらながら苛立ちを覚えた。読んだのは朝日、読売、日経。なぜか毎日にはなかった。

一番ずれていたのは日経(関原のり子、白木緑)。グランプリ作品が2度目の受章であることをことさらに重要視することから始まり、終わりは「配給の不況はそろそろ底を打った」という矢田部ディレクターの言葉で締めるトンチンカンぶりだ。
まず「長引く不況で、外国映画の輸入は減っており、それを補う映画祭の役割は増している」という前提がおかしい。洋画の輸入が減った最大の理由は「長引く不況」ではない。ならばなぜ邦画の数は増え続けているのか。映画祭の役割は、洋画配給の補完ではない。それはむしろフランス映画祭などの特集上映であって、東京国際の最大の存在意義は、邦画の発信であることは言うまでもない。
矢田部氏の言葉も、配給会社の人々が聞いたら、誰もが「とんでもない」というだろう。矢田部氏が好むある種の映画が、いくつか公開されたにすぎない。そもそも洋画配給事情を矢田部氏に語らせるのがおかしい。
全体として、とても経済新聞とは思えない論理展開だ。

朝日(石飛徳樹、井上秀樹)は無難にまとめた。まず邦画がまともだったことを取り上げ、「海外が注目する日本映画をコンペに参加させることが第一歩だ」と書いているのは正しい。
しかし「芸術性と娯楽性のバランスの取れた作品が例年より目立ち」というのは、いいことなのかどうか。私には逆に中途半端な選択基準にしか見えない。
そして、結論が「ナチュラルTIFF」をもっと宣伝しよう、では何とも物足りない。

一番まともだったのは読売の恩田泰子記者。後半に「作品が充実しても見る環境の整備は進んでいない」と書いたのは正しい指摘だ。しかしもっとはっきりと書かねばならない。シネコンでは無理で、カンヌやベルリンのように数千人規模のホールを使うべきだと。
「作品選定でのカラーの確立も課題だ」というのも、同意する。もっと東京国際ならではという主張がないと、国際映画祭として認知されない。
台湾問題に触れたのも重要なことだ。問題は終わり方で、進藤監督が「またやってもいい」と言ったことを引用して「創作意欲に火をつけるなら、やはり賞には意義がある」では月並みすぎる。

それにしてもベネチア映画祭では2回書いた朝日が読売が、東京国際について1回しか書かないのはどういうことか。フランスやイタリアの新聞のように毎日とはいわないが、せめてもっとじっくり論じて欲しい。

では何を書くべきだったか、は後日。

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