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2010年11月20日 (土)

東京国際映画祭:その(7)まとめ

いずれゆっくり東京国際の総括を書こうと思っていたら、もう今日から東京フィルメックスが始まる。その前にとりあえずのまとめを書く。一言で言うと、ここ数年コンペを中心に上映作品の質は上がってきたが、まだまだ国際映画祭としてはダメである、ということだ。それは発信能力のなさ、作品の地味さ、選ぶ個性のなさ、運営のひどさなどにある。

発信能力がないとは、ここから世界に発信するものがないということだ。端的に言うとワールド・プレミア(世界初上映)が少なすぎる。とりわけ名の知れた監督の作品の初上映はまずない。東京国際の悪評が世界に広がる前は、ゴダールの新作の世界初上映などもあったのだが。アルモドバルもオゾンもジャームッシュも、日本の配給会社は今でも相当高い金額で買っているのだから、その初上映は不可能ではないはずだ。その努力をしているのか。

それ以前に日本映画の話題作がどうして東京国際に出ないのだろうか。宮崎駿や北野武はどうして出ないのか。あるいは『告白』『悪人』『十三人の刺客』などの秀作を東京国際に最初に出せなかったのか。公開時期が近かったインディーの傑作『ヘヴンズ・ストーリー』はなぜ出さなかったか。まず日本映画の話題作が出れば、世界からバイヤーや記者が集まる。そうすれば次第に海外の有名監督の作品も集まるようになるだろう。

それからベルリンやカンヌにあるような、一年分の日本映画を集めた部門も必要だ。日本映画を海外に売り込むためには重要だ。
あるいは古い映画の復元版の上映を中心にしたレトロスペクティヴ部門も映画祭の格を挙げるだろう。話題の新作がそろえられない映画祭は、まずこの部分で評価を高めるべきだ。

とにかく今のコンペは地味すぎるし、個性がない。配給の決まった正月映画の顔見世興行のような特別招待部門はその象徴だ。
「アジアの風」部門は、国際的に唯一評判がいい。この部分をもっとコンペなどのメインに組み込まないと東京の個性は出ない。そうすると、東京フィルメックスに近づくけれど。
映画祭の開会式の様子やカタログの表記を見ると、すべて表に出るのはチェアマンの依田巽氏で、映画を選んでいる(はずの)矢田部吉彦氏や石坂健治氏は末端のスタッフの一員にしか見えない。ディレクターに作品選考の全権を委ねるような形を作らないと、世界に注目される個性的なプログラムはできない。

運営の改善は、まず会場をシネコンから移すことからしか始まらない。開会式を5つのスクリーンで同時に中継するなんて、国際映画祭とは言えない。どうして新聞や雑誌はこの当たり前のことを指摘しないのか。かつての文化村の方がすっと良かったのに。
そのほか開会式の招待状のデザインがひどすぎるとか、「ドレス・コード」などと書くのはおかしいとか、オープニング・レセプションを3階と4階に分けるのはひどいとか、恥ずかしいことは無数にある。
何よりも、映画関係者がこれほど映画を見るのに苦労する映画祭は、世界にない。

もちろん国際的な野心を捨てて、国内の映画業界と国内映画ファンのための祭にするんだったら、国際映連公認なんかやめて、配給を補完する小規模な秀作映画祭に徹すればいい。政府や都の助成金をもらいながら表向きはカンヌやベルリンを目指し、実際は国内向けのイベントでしかないような状態は、税金の無駄使いだ。

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