麻生三郎の絵に見る日本の戦後
竹橋の東京国立近代美術館で開かれる日本人の個展は、可能な限り見ることにしている。ここで開かれるからには、日本中から秀作が集まってくる(はずだ)からだ。12月19日まで開かれている「麻生三郎展」も、戦前から戦後にかけての日本人の魂の軌跡を見せる、見応えのある展覧会だった。
1930年代にフランスやイタリアに行った頃は、ユトリロのような欧州の街並みを描いた、いわば月並みな絵が多い。ところが1940年代からは、次第に暗闇の中の子供や女性を描き始める。塗り込めた重厚な画面から、女たちの叫びが聞こえてくるようだ。
戦後は赤みがかった風景の中に立ちつくす人々が描かれる。《赤い空》シリーズなど、まるで空襲にあって火の中で呆然としているようにも見える。それから人々も風景もどんどん抽象的になり、1960年代くらいから黒い画面を白が覆い始める。まるで原爆ですべてが消えてしまった後の、灰だらけの風景のようだ。
何十年もたつうちに人間の形が次第に消えてしまい、廃墟だけが残る。戦後の日本が人間らしさを失い、生きられる場所がなくなってしまった過程を見せられたような気がした。
この展覧会は来年、京都国立近代美術館と愛知県美術館に巡回する。
麻生展で呆然とした後に、常設展を2階の現代部分だけのぞいた。鈴木清(1943-2000)の写真展が開かれていたが、実を言うとこの写真家のことは知らなかった。国内やアジアの見捨てられたような場所を放浪して、スナップのように撮られた写真の一枚一枚からは、写真家と被写体の追い詰められた生の瞬間が感じられた。
河原温の「I MET」シリーズは、その日会った人の名前を欧文でタイプした紙が、何十年分も分厚い本になっている。全部で12冊。これは極私的な記録だが、同時にリアルな戦後史にも見える。10年ほど前に都現美で見た彼の個展の衝撃が蘇ってきた。
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