『白いリボン』をやっと見る
とにかくみんながすごいと言う。試写状も来ないのでひがんで無視しようかと思っていたが、日経新聞で中条省平氏が「今年の掉尾を飾る傑作である」という書き出しで絶賛しているのを読んで、やっと『白いリボン』を見に行った。結論から言うと、見ごたえはあったが、個人的にはあまり好きになれない映画だった。
何が好きになれないか。もともとハネケの映画は、監督の作為が気になりすぎる。今回も、次々と悲劇が起こるドイツの寒村の物語を、わざとわかりにくく語っている。例によって冒頭から誰が主人公か、何の話かわからない。悲劇の数々はその現場が映らず、語り手役の教師のナレーションで説明されるだけ。そしてどんどん次の場面に移ってゆく。
それにしてもロングで撮った白黒のショットの連続は美しい。そして登場人物たちの顔のグロテスクなこと。何が起こっているのかよほど注意していないとわからないが、映画が進むにつれて迫力とサスペンスが増大してくる。
白黒の静謐で緊迫した画面構成は、あえて言えばカール・ドライヤーの『奇跡』や『ゲアトルード』を思わせる。ヨーロッパの北にしかありえない硬質な感じだ。しかしその奥には、ドライヤーの官能や精神性の極みはなく、ハネケの計算がどこかに見えるような気がする。
いくつか新聞の映画評を読んでみた。朝日で柳下毅一郎氏は「美しいモノクロームの映像に映し出されるのは風光明媚な田園と、そこに生きる篤実な人々の生活である。一見すればノスタルジックな理想世界とも見えるかもしれないが、その平和の裏には見えない緊張がある」と書いている。私には「風光明媚」も「ノスタルジックな理想世界」も見えなかったが。
読売の土屋好生氏は「白いリボン」の説明が少し違っているし、「誰しもそこにナチスの台頭を予感するに違いない」というのは言いすぎではないか。「息がつまる「原理主義」の恐怖とそこで育った子供たちの不透明な未来。服従か、反抗か、事情は今も変わらない」という勇ましい読解もちょっとついていけない。
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