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2010年12月25日 (土)

ようやくドガを見る

この秋からずっと見たかった横浜美術館の「ドガ展」をようやく見た。今年はルノワールに始まって、マネ、オルセーのポスト印象派、シャガール、ゴッホと、充実したフランス美術展が多数開かれたし、モネもボストン美術館展など複数の展覧会で秀作を見た。ドガ展は久しぶりでオルセーの名作がたくさん出るほか、アメリカからも出品されると聞いていたので、何があっても見ようと思っていた次第。

実際に見てみると、期待にたがわずおもしろかった。もともとドガというのは、ルノワールのような豊饒な色彩の調和もなければ、マネのコンセプト力もない。もちろんモネやゴッホのような塗り込めた狂気もない。セザンヌのように絵画空間を破壊しながら再構成する力もない。もし可愛らしい「踊り子」シリーズが本当に彼の代表作なら、ちょっと評価が高すぎのような気がしていた。

今回百点を超す作品を見て思ったのは、ドガが「動き」にとりつかれた画家だということだ。そうでなければ、不自然なポーズを取る浴室の裸婦を、何度も何度も描いた理由は見当たらない。あるいは競馬の絵を何枚も残している。
もちろんその極めつけは、「踊り子」シリーズだ。さまざまなポーズの踊り子を執拗に描く。そればかりか、それらを一体、一体彫刻にしている。展覧会の終わりのあたりで、十体ほどのさまざまなポーズの踊り子の彫刻が並んでいるのには、思わず笑ってしまった。

中ほどの解説に、ドガは馬の連続写真を撮ったカリフォルニアのマイブリッジの仕事に関心を持ってすぐに写真集を取り寄せたと書かれていて、なるほどと思った。もちろんエドワード・マイブリッジの馬の連続写真撮影は、エチエンヌ・ジュール=マレイの鳥の連続撮影と並んで、映画誕生を準備した決定的な仕事だ。
マイブリッジは映画が生まれた後は、女性の裸体を執拗に動く映像に残した。ひたすら台を上り下りしたり、前後に歩くだけの全裸の女性たちの映像は、考えて見るとドガの絵を思い出させる。

ドガは自ら多くの写真を撮っている。しかし、彼が無意識にやりたかったのは映画なのではないか。19世紀後半という映画誕生前夜の時期を生きながら、ドガは絵画において生まれつつある映画を実践していた画家のような気がする。
本展は年末の31日まで。巡回もないので、すぐに見に行くべし。

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