ヤクザの歴史を考える
DVDで高倉健の『昭和残侠伝』や藤純子の『緋牡丹博徒』、あるいは菅原文太の『仁義なき戦い』などのシリーズを立て続けに見たせいもあって、日本のヤクザについて本当のところを知りたいと思っていた。そんな時手に取ったのが、新書版の宮崎学著『ヤクザと日本』。
もともと私はヤクザのような人々やその雰囲気が嫌いではない。小さい頃、父のまわりにはそういう感じの人々がたくさんいて、みんな私に優しかったこともあるかもしれない。
宮崎学氏の本は、『突破者』という自伝や『近代の奈落』という部落論を読んだことがある。自分の親がヤクザの組長だっただけに、理論的な内容でもリアルな感じが漂ってくる。今回の『ヤクザと日本』は、日本の近代においてヤクザが表社会を補完する重要な役割を果たしてきたことを歴史を追って述べている。
明治以前には、下級武士や町奴と呼ばれた町人の自治のための用心棒たち、これに火消や博徒、角力、人入(労働紹介業)などの任客たちが加わって大きな層をなしていたという。
明治以降は、産業形成の過程で港湾や炭坑、土建などの単純労働者たちを束ねる存在としてヤクザが育っていった。北九州の吉田磯吉は、近代ヤクザの原型と言われる。山口組は神戸の港湾を基盤として大きくなったし、小泉元首相の祖父は横須賀の港湾ヤクザ出身だという。
産業のみならず、彼らは美空ひばりと山口組の関係で有名なように、地方の芸能も取り仕切った。さらにさまざまな形で自治体や警察に協力して、行政的にも重要な役割を果たしてきたようだ。
ヤクザが変わるのは1970年あたりからだ。高度成長期に入って、ヤクザも共同社会型から利益社会型に変わったという。そういうことを考えると、1973年に突然『仁義なき戦い』のようなリアルなヤクザ映画がヒットしたのもわかる気がする。これまでの義理と人情のヤクザ映画から、一挙に実録路線に変わっていったのだから。
私には現代日本で最もヤクザ的なのは、広告業界のような気がする。場所を押さえてマージンを取る商法だから。それからテレビや芸能界、あるいは人材派遣業やIT業界もかつてのヤクザの役割を担っている部分があるだろう。これではヤクザは仕事がなくなるはずだ。現代のヤクザの空虚さは、北野武の『アウトレイジ』を見ればよくわかる。
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