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2011年1月21日 (金)

ヤクザ映画のプロデューサーの話

先日、『ヤクザと日本』という本について書いたが、その延長線上でヤクザ映画の名プロデューサー、俊藤浩磁氏に山根貞男氏がインタビューした『任侠映画伝』を読んだ。これがまさに映画のようにおもしろい。俊藤浩磁という名前は東映のヤクザ映画を見るといつも製作者として最初に名前が出てくるので、てっきり東映の社員か役員だと思っていたが、これが違った。

一本、一本の映画で企画をもらうフリーのプロデューサーだったのだ(後に一時期役員のような形になるが)。もっと驚いたのはあの藤純子は、俊藤の娘だったということだ。これらはヤクザ映画通には当然の事実だろうが、正直なところ私は全く知らなかった。
自分にとってヤクザ映画というのは、鶴田浩二や高倉健のシリーズものに熱狂するアホな田舎のオヤジたちの印象が強くて、どうしても好きになれず長らく避けていたこともある。

俊藤が映画の製作を始めたきっかけがすごい。戦時中に勤めていた製鉄関係の会社が敗戦後つぶれて、生き残った社員で残った品物を売り飛ばしてお金を儲けた。そのお金で祇園で遊んで知りあった芸者が後の夫人で、彼女にバーを開かせたら大繁盛し、銀座にも進出した。バーの経営に回った俊藤はそこで映画関係者や芸能人と知り合って、企画を頼まれるようになったという。

1960年代前半に時代劇が下火になった時、俊藤は鶴田浩二主演の「博徒」シリーズを提案する。実際の本物のヤクザやばくち打ちに中身を教わって、エキストラで多数登場してもらっているという。それが大当たりして、高倉健と「日本侠客伝」「昭和残侠伝」や「網走番外地」のシリーズを作った。
映画の中味は東京・京都間を車で運転していると、おもしろいように浮かんできたという。「ほとんどの任侠映画の原案は私が立てた。原案がある場合はむろん違うが、大部分はオリジナルやったし、ホンの書き手はそれぞれ別やけど、どういう話をやろうというのは私が考える。題名もたいてい私が原案で付けた」。そして彼は撮影現場にすべて立ち会った。

娘を藤純子として映画に出すきっかけは、松竹に女優デビューを打診されて親子で会いに行った帰りに、マキノ雅弘と会って彼の映画に出ることになったという。

俊藤は一般の観客にあれほど人気がある映画を次々作ったのに、映画ジャーナリズムに無視されたのが不満だったようだ。「新聞記者とか映画評論家とかの評価に私は疑問を感じる」「とにかく任侠映画の全盛期に、あれだけ観客の熱狂的な支持があったにもかかわらず、どのシャシンも監督も役者も、賞の対象にはされず、無視された事実ははっきりしている」。

インタビューの間に入る山根の解説もいい。藤純子の名場面などが浮かび上がるように活写されている。東映ヤクザ映画を知る上で最高の本だと思う。

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