肉感的なイタリア語
イタリア語というのは、日本人の耳には肉感的な音が多い。場合によっては卑猥にさえ聞こえる。例えば85という数字はイタリア語ではカタカナで書くと「オッタンタ・チンクエ」となる。変な場面を想像しそうだ。そんなアホなことを考えたのは、岡田温司氏が岩波新書で出した新刊『グランドツアー』で「チチスベイ」という言葉を見つけたからだ。
この本は、18世紀にヨーロッパ中から金持ちや貴族の子弟たちが、こぞってイタリアへ旅をした現象を解説したものである。有名なところでは、ゲーテやスタンダールもそうだ。そんななかでイギリス人やフランス人が最も驚いたのは、「チチスベイ」という存在だった。
当時のイタリアの貴婦人には「チチスベイ」という付き人がいて、散歩や外出、観劇やサロンに至るまで、夜のベッド以外のあらゆる局面で女主人の側について手伝うのが仕事だったらしい。この本を読むと、どうも若い愛人の役割を果たすチチスベイも多かったようだが、こうした存在はもちろんほかのヨーロッパにはなかったので、こんなことが公然と認められているイタリアは何だ、と衝撃を与えたらしい。
さらにイタリアには「カストラート」と呼ばれる去勢された男性歌手がいた。これもイタリアに始まった倒錯的な現象だ。「チチスベイ」や「カストラート」に象徴される怪しいジェンダーのイメージは欧州各地で独り歩きし、イタリア帰りのイギリス人は「マカロニ」と呼ばれた。「オペラにうつつを抜かし、おしゃれにことのほか執着するイギリス男は、イタリアの悪しき趣味に毒されているとみなされた」。今でもありそうな話だ。
「チチスベイ」の綴りはcicisbeiで、チチスベオcicisbeoの複数形だ。しかし音だけ聞いても、日本人の耳には何か淫靡な感じがする。やはりイタリア語はおもしろい。
それはさておき、『グランドツアー』という本は、現在も続くイタリア人気の根源がわかるような、味わい深い一冊だった。人、自然、遺跡、美術と4章に分かれているが、「チチスベイ」が登場する第一章が抜群だ。
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