『四つのいのち』のメッセージ
イタリア映画『四つのいのち』を見た。去年のカンヌ国際映画祭で話題になって、今年の東京国際映画祭のNatural tiff部門で上映されていた作品だ。最近の仏『カイエ・デュ・シネマ』誌で絶賛されていたこともあって試写を見に行ったが、期待通りのかなり独特な映画だった。
イタリアの寒村で炭を切り出す音から映画は始まる。山羊の群れを追う老いた羊飼い。この人物が主人公かと思うと、途中で死んでしまう。彼を棺桶に入れたとたんに、生まれた瞬間の子羊が映る。そして流れゆく雲のショット。たくさんの羊が映る。溝に落ちてはぐれた白い羊。そして村人は大きな木を切り取り、町の真ん中に立てる。祭は終わり、その木を刻んで炭を作る。できた炭は村で配られる。
何も起きない。それどころか主人公は人間から羊に、そして木や炭に移ってゆく。チラシには「一切セリフはありません」と書かれているが、実際には人々の小声の会話で「ありがとう」「どうも」といった内容は何度か聞える。しかし確かに会話が物語を進めるわけではない。
一見、ドキュメンタリーのようだが、そうではない。むしろ周到に計算された映像の織物だ。人間、動物、木、炭と中心を変えながら、長回しで撮られた映像は大地の感触、空気の匂い、遠くの音を刻印する。羊飼いの寝ている部屋に押し掛ける羊たちや取り残されて一人で彷徨う子羊のシーン。あるいは大木を切り出して出して街の真ん中に立て、それに誰かが登る様子をレンガ色の屋根越しに写すシーンなど、すべては考えつくされたショットだ。チラシのタルコフスキーやブレッソンの名前が書かれているが、確かに彼らの映画のような厳密さや宗教性がある。
プレス資料で中沢新一氏が書いているように、この映画は世界に存在するものを平等に写しだそうとしている。彼はそれを「シンメトリーの精神」と呼んでいるが、このような人間を生物や自然の一部として描く映画は、エコ志向の現代人には相当強く訴えかけるのではないか。
あえていえば、そうした現代性と映画の撮り方があまりにも見事にマッチしすぎていることに、あざとさを感じることもできるだろう。監督はこれが2本目というミケランジェロ・フランマルティーノ。
4月GW公開。
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