吉行和子の透明な文章
若い頃の吉行和子が表紙の写真にひかれて、彼女のエッセー集『老嬢は今日も上機嫌』を買った。舞台の楽屋だろうか、編み靴の紐を締めて横を見ている白黒の写真は何とも爽やかで、見ていて飽きない。本の中味も、写真のようにシンプルで飾り気がなく、不思議な透明感のある文章が並んでいる。
市ヶ谷に住み、近くの賑やかで派手な神楽坂よりも「よそよそしい千代田区の市ヶ谷の方が落ちつく」という文章に始まって、舞台や映画やテレビの出演の仕事の合間に、母や友人たちと時間を過ごす吉行の日常が淡々と語られている。
別に凝った表現も、鋭い洞察もない。けれど自然で素直に世の中に反応し、人生を楽しんでいる姿が伝わってきて、読んでいて気持ちがよくなる。
例えば、ミラノで霧のために飛行機が出なかった時に、「理路整然と怒りをまくしたてている若い女性がいて聞き惚れる」という余裕。あるいは、アメリカから送られてきた宇宙食を喜んで食べ、「何故こうも料理をするのが嫌いなのだろう」とつぶやく素直さ。
フィルムセンターでかつて脇役で出た『心の山脈』を見て、吉村公三郎監督が、その撮影が終わった後に「東京を戻ったら、キャマンベールを食べるぞ!」と言ったことを思い出す不思議さ。
ニューヨークで精神病院を訪ねた時に、花火が上がるとさっきまで大騒ぎしていた患者たちが静かになった瞬間に、「いま、この人たちの心の中は……、と不思議になった」。
映画『八月の鯨』のリリアン・ギッシュとベティ・デイビスの老女の競演を見て、「こんな映画をいつの日か富士真奈美と撮りたいものだ。年からいえば私が上だが、イジメに関しては、天下一品のフジマナミ。何しろテレビドラマ『細うで繁盛記』で鳴らした腕だ」。
そのほか100歳になる母との海外旅行の話など、書いたらキリがない。こんなに楽しい老後を過ごせたらと思う。もちろんこれは文章で、実際はそうとは限らないが。
そういえば、半年ほど前に彼女を映画館で見たことがある。一人で映画館の列に並んでいた。可愛らしい、という感じだった。
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