ソフィア・コッポラの静かな情感
ソフィア・コッポラの『Somewhere』を見た。去年の夏にベネチアで見て、かなりおもしろかった印象を持っていたので、もう一度見たくなった次第。二度目は、押し寄せてくる静かな情感に、泣きそうになった。孤独な中年男の話には、最近涙腺が弱くなったようだ。
最初は、ホテルでセレブで退廃的な毎日を送る中年の俳優の姿が淡々と描かれる。別居している妻と住む娘を預かって、生活に光が差してくる。娘のアイススケートを見る父親。
情感が高まってくるのは、イタリアに行ったあたりからだ。卓球をする二人、ソファで眠る娘の横で、ピアノでバッハを弾く父親。娘は帰りの車の中で泣きだし、父親は喜ばせようとラスベガスに連れてゆく。ヘリコプターで娘をキャンプに送ってゆき、父親がヘリコプターから見る風景。
次に泣くのは、一人になった父親だ。「僕は空っぽの男だ」I am fucking nothingと言いながら。そこから流れ出す透明な時間。自分でスパゲッティを茹でて、外を見る。そしてホテルを出て、男は一人で歩きだす。
再会する父娘の日常を淡々と描いた、たったそれだけの映画なのに、泣けてくる。ひとつひとつのショットやそのつなぎ、そして途中で入る音楽が、繊細で絶妙なのだと思う。この作品を見て、ソフィア・コッポラは父親と同じくらい映画の才能に恵まれていると思った。
どうでもいい話だが、イタリアのシーンでテレビで賞をもらうマウリツィオ・ニケッティは『しゃぼん泥棒』など日本でも数本公開されている中堅の監督だし、主人公の愛人役のラウラ・キアッティは、イタリア映画祭ではおなじみの人気俳優だ。日本のチラシにもプレスにも全く名前がないのは少しかわいそうな気がする。
4月2日公開。
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