『木漏れ日の家で』の心地よい古さ
ちょっと古めかしい秀作を見た。4月16日に公開される白黒の2007年ポーランド映画、『木漏れ日の家で』。それこそ同じポーランドのワイダの昔の作品、例えば『灰とダイヤモンド』や、亡くなったキェシロフスキーの「デカローグ」シリーズを思わせるような、凝りに凝った映像が今どき珍しい。
たいした物語はない。森の中の大きな屋敷に、91歳の老婆が犬と住んでいる。大半は犬と話す彼女のモノローグだ。することと言えば、近所の2つの家を双眼鏡で覗いたり、訪ねてくる息子や孫と話すくらいだ。
実際に撮影当時91歳だった主演のダヌタ・シャフラスカが、圧倒的に美しい。女性の多くはこんな姿に憧れるのではないか。彼女が見る風景は、窓ガラスや双眼鏡に映り、白黒なのに万華鏡のようにきらめく。あるいは自らの若い頃を思い出した映像が映る。携帯もなく、電話が鳴ると、1階の電話機に犬と走る。かつてのお嬢様が、そのまま老婆になったような生活だ。
最初のシーンに出てくる女性の医師は「さあ、脱いで」と言い放つ感じの悪い女性。近所の家の一つは、中年男が若い女を連れ込んでおり、老婆の家を買おうと狙っている。その禿げた男のいやらしい感じ。そして息子も孫娘も家にくると食べてばかりいて、だらしない顔をしている。「本当に私の孫かしら」とつぶやく老婆。
一方でもう一つの家では、見るからに知的そうな若いカップルが、子供たちに音楽を教えている。その映像の心地よさ。
古い価値観を曲げない絶対的な善の老婆が、息子も含めた金目当ての悪人たちを拒み、若いカップルと彼らのもとに集まる子供たちに将来の希望をつなぐ。それは極めてわかりやすいし、何よりめくるめくような映像がすばらしい。しかしその根源的な保守性は、現代に決定的に背を向けたものだ。1989年の東欧革命前だったら大傑作と言われた作品に違いないが、今はどうだろうか。日本一年齢層の高いと言われる岩波ホールの観客には、いいのかもしれないが。
監督はドロタ・ケンジェジャフスカという女性で、魔術のような撮影をしたのは夫のアルトゥル・ラインハルトで、この作品では製作も担当している。
| 固定リンク
「映画」カテゴリの記事
- 『旅と日々』の不思議な感覚(2025.11.15)
- 東京国際映画祭はよくなったのか:その(6)(2025.11.11)
- 東京国際映画祭はよくなったのか:その(5)(2025.11.07)


コメント