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2011年3月19日 (土)

映画欄がなかった朝日新聞

金曜の夕刊はどの新聞も映画評が並ぶので、買うことにしている。実際、数紙を比べるうちに、何となく見たい映画が自分の中で決まってくる。ところが昨日の朝日と日経は、地震の影響か映画欄がなかった。読売と毎日はあったのに。経済紙である日経はともかく、なぜ朝日は震災後一週間もたって、映画欄をつぶすのか。

映画配給会社にとって、新聞に映画評やインタビューが載るかどうかは、決定的だ。特に大量の広告宣伝費をかけられない映画にとっては、記事を勝ち取るのは命がけだ。それを地震の影響という理由で簡単になくしていいものか。

地震後、映画興行は絶望的に落ち込んでいる。映画会社自も『ヒアアフター』の上映を打ち切ったり、『唐山大地震』の公開を延期したりしている。どちらも大手映画会社の作品だからできることだが。そして朝日は映画評を勝手に「自粛」する。こんなことでは、いよいよ映画館に客は戻ってこないだろう。

今、東京にいてできることは、買いだめのような被災地に迷惑の及ぶことを避けながら、これまで通りの生活を送ることだ。飲みにもいかない、映画も見ない、買い物もしないでは、だだでさえ落ち込んだ日本経済は、さらに沈む。それは被災地も含めた日本全体に係わることだ。

メディア、とりわけ新聞は「非常時」を煽るのではなく(それでは戦時中だ)、無理にでも「平常心」を見せて欲しい。すべての新聞の社会面を埋め尽くしている被災地の「泣ける話」は、私は読みたくない。新聞、テレビ、雑誌などマスコミ各社が、困った人の家に泥足で上がり込んでいる姿を思い浮かべるからだ。

ここ数日の外国の政治家の発言を見ていると、話題の日本の地震を利用して、自国民や日本にウケを狙っているように思える。外国の友人たちからのメールを見ると、多くの人々が東京から脱出しているような報道をされているようだ。そのように報道した方が、大衆心理にウケるからだろう。

だいぶ話はずれたけど、「非常時」を自分の目的のために利用する人々は、いつの時代にもどこの国にもいる。


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