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2011年3月 5日 (土)

身につまされる『マイ・バック・ページ』

川本三郎氏の同名の本を原作にした映画『マイ・バック・ページ』の試写を見た。山下敦弘監督の静かな演出が際立っていたが、それ以上に映画の内容が身につまされて、見ていて落ちつかなかった。

まず、新聞社の雰囲気がいい。終わりのクレジットを見ると神戸新聞で撮影したようだが、かつての雑然として煙がモクモクで、あちこちにこもった嫌みな感じが出ている。アルミの安っぽい灰皿までそれらしい。
それ以上に記者たちを演じる俳優たちの面構えがいい。半分くらいは今でもいそうだ。「新聞ってそんなに偉いんですか」と聞かれて「そうだ」と言い放つ社会部長役の三浦友和が出てきたあたりで、私はハマりすぎて冷静さを失ってしまった。

そして過激派を演じる松山ケンイチが最高だ。まじめで強がりで自己陶酔的な当時の若者そのものに見えてくる。危うい感じが何とも切ない。
それに比べると、記者役の妻夫木は目立たないが、ネクタイをして静かに悩む感じがだんだん良くなってくる。見ていると、終わりの頃には川本氏にダブって見える。

この二人が部屋の中で静かな時間を過ごす。長い、長いテークのカメラが、その消えてゆくような時間をとらえる。「記事が出れば僕たちは本物になれるんですよ」。外は雨。

同じマツケンが出た『ノルウェーの森』に比べて、1970年前後の「いやあな雰囲気」が何とも再現されている。革命が不発に終わった後の白けた感じというか。「恋の季節」や「真夏の出来事」といった歌謡曲も効果的に使われている。

もちろん、「こんなことは当時どこにでもあった」と言う人もいるだろうと思う。川本氏が多少有名だからといって、映画にするほどのことか、しょせんは、めぐまれた人間の話ではないかと。
私自身、そういう気もしたが、それ以上に設定が身につまされて、興奮してしまった。
会社というのは組織の論理を優先し、社員を守らないものである。

5月28日公開。

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