コーエン兄弟の不思議な歩み
最近のコーエン兄弟は一作ごとに作風を変える。先日映画館で『トゥルー・グリット』を見て、つくづくそう思った。『ノー・カントリー』の凄惨な殺戮劇の後に、『ボーン・アフター・リーディング』で意識的な出来の悪いコメディを作る。次の『シリアス・マン』はユダヤ的なユーモアが充満する不思議な空間を作って、今度は『トゥルー・グリット』で西部劇のリメイクを作る。
『トゥルー・グリット』には見ていて血沸き肉躍るようなおもしろさがある。特に少女の活躍ぶりは何とも楽しい。しかしどこか西部劇的な匂いが欠けていて、空虚さが漂う。銃撃戦は迫力満点だし、主人公の少女とジェフ・ブリッジズのマット・デイモンの2人の組み合わせも文句がないが、何かが欠けている。もしこれがイーストウッドが監督したら、もっと情感が漂っていただろうし、それ以上に西部劇特有のアメリカの匂いがあったはずだ。
この映画にあるのは、どこか作り物の、フィクショナルな感じだ。出だしの雪の中の死体のシーンも、最後の少女を連れたジェフ・ブリッジズのシーンもどこかこの世ではない雰囲気であり、その後のとってつけたような25年後のシーンも、不思議な冷たさを感じさせる。
何でもできるコーエン兄弟は、映画ごとに作風を変え、どこかはずしてメタジャンルのようなクールな映画にしてしまう。人間的感情を、敢えて逆なでする。そこがコーエン兄弟の魅力であり、欠点でもあるだろう。
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