田窪恭治の誇大妄想と「世界の深さのはかり方」のミニマリズム
木場の東京都現代美術館で始まった「田窪恭治展」と「Nearest Faraway 世界の深さのはかり方」という現代作家のグループ展を見に行った。田窪と言えば、1980年代末からフランスに行き、ノルマンディー地方の教会をバブル日本のカネで修復し、最近は金刀比羅宮の修復を手がけている異色の美術家だ。
今回の展覧会では当然その二つのプロジェクトがメインとなるが、建築物を展示するわけにはいかない。写真や映像、デッサンが中心だが、それに加えて床に鋳物のタイルや鋼材を敷いてあった。これが何を意味するのかわからないが、田窪氏の誇大妄想的な感じは伝わってくる。
15年ほど前に完成間際のノルマンディの教会を訪ねたことがある。田窪氏が案内してくれたが、ゴールデン・ウィークの時期なのにその寒さが印象に残った。同時に、誰にも頼まれていないのにその教会を修復し、リンゴの絵を描いた理由がどうしてもわからなかった。
数年前に金刀比羅宮でも田窪氏が手がけた部分を見たが、なぜ彼が係わっているのか疑問だった。今回の展覧会を見て、何か「世直し」のような壮大な誇大妄想に取りつかれているように思えた。
80年代後半のバブルに向かう日本を捨てて、一人でフランスの田舎の打ち捨てられた教会に取り組むこと。たった一人の反乱を始めたところが、なぜか日本の企業メセナとやらが応援する。99年に日本に帰国すると、今度は日本で有数の神社に環境計画を頼まれる。
そのような壮大な迂回と奇妙な成功に比べると、「世界の深さのはかり方」に出品する若い作家たちは、何ともつつましやかな存在に見えてくる。なかでは冨井大裕の幾何学的な冒険が最も目を引くが、どの作家にも強い主張のようなものは感じられない。
木藤純子のコップの中の宇宙や、関根直子の鉛筆で塗り込めた不思議な風景、池内晶子の張り巡らされた細い糸など、とにかくそれぞれのミニマルな世界を構築しているようだ。
展覧会としては田窪のものよりも、こちらの方が見ごたえがある。
ともに5月8日まで。
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