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2011年3月31日 (木)

長崎俊一の安定感にとまどう

私が大学生の頃、10歳くらい上の監督たちの映画が続々と劇場公開されて、話題になっていた。大森一樹の『ヒポクラテスたち』や根岸吉太郎の『遠雷』、森田芳光の『家族ゲーム』等々。その後に続くように、さらに若い黒沢清や石井聡互、長崎俊一といった監督たちの新作も公開された。それは本当に眩しかった。

私は当時、これらの監督たちが日本映画を革新していると信じて疑わなかった。だから今でも彼らの作品が公開されると、見に行ってしまう。そしてがっかりすることが多い。つまらないからというよりも、かつての「革新性」や「新しさ」がそこにないから。

5月14日に公開の長崎俊一監督『少女たちの羅針盤』は、十分おもしろかったにもかかわらず、物足りなかった。演劇に命をかける4人の女子高生の青春物語にミステリーが加わって、最後まで飽きさせない。4人が路上で芝居を重ねて、コンクールで成功を収めるまでの姿は、なかなか感動的だ。とりわけ成海璃子がみけんに皺を寄せる真剣な表情や、思わず駈け出してゆく瞬発力は見ていて爽快だ。ラストの少女たちの顔のアップの素晴らしさ。

それにしても出だしから、ちょっとB級のミステリータッチだ。女子高生たちの物語も通俗的で、その二つがバランスよく組み合わさった娯楽作といえるだろう。
しかしかつての『闇打つ心臓』などに受けた衝撃を考えると、現在の長崎監督の安定感は私にはちょっと戸惑いを覚える。これは前作の『西の魔女が死んだ』にも感じたことだが。

ところで、現在公開中の大森一樹監督の『世界のどこにでもある、場所』には、心底落胆した。この笑えない不思議な喜劇は、安定感どころの騒ぎではない。監督はインタビューなどで「映画らしい映画を作りたかった」と述べて、ロバート・アルトマンなどを例に出しているけれど……。

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