« 『神々と男たち』を見られる喜び | トップページ | 羨ましい古書狂い »

2011年3月10日 (木)

ゼロ年代は苦手

実を言うと、「ゼロ年代」が苦手だ。「ロスジェネ」や「セカイ系」「アーキテクチャ」など、2000年以降に出てきた論壇の旗手たちが何を言っているのか、本当のところよくわからない。そんな自分にとって、円堂都司昭著『ゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー』は、なかなかわかりやすいチャート本だった。

とにかく東浩紀の『動物化するポストモダン』(2001)や宇野常寛氏の『ゼロ世代の想像力』を読んだだけで、漫画やアニメやゲームの分析にうんざりしてしまう。どうも精緻な論理が展開されているようだが、扱われている題材がついていけない。宇野の本はどうも1990年代的なオタクを批判しているようだが、その差異はどうでもいいものに見えてしまう。

『ゼロ世代の論点』を読みながら、批評家の流行が移り変ったことに、あらためて気がついた。そこで紹介されている佐々木敦著の『ニッポンの思想』では、以下の分類がされているらしい。ニューアカの先達としての柄谷行人と蓮實重彦、80年代のスターだった浅田彰と中沢新一、論壇が保守化に向かった90年代に活躍した福田和也、大塚英志、宮台真司、そしてゼロ世代に一人勝ちになった東浩紀。自分はもはや福田や大塚、宮台の時点で既に拒否反応を示していたことに今さらながら気がついて、改めて時代遅れな気分に襲われた。

私は佐野眞一氏の『だれが「本」を殺すのか』(2001)や水村美恵の『日本語が亡びる時 英語の世紀の中で』(2008)を、現代日本を鋭く分析した刺激的な本として読んだ。この著者はこれらの本を「旧来の“教養”を是とするもの」とする。
佐野や水村のような選民的な教養ではなく、ネットや携帯やツイッターを使った万人に開かれた知を目指す必要があるのだろうが、東が最近の朝日新聞などに書いている議論は、どうしてもハッタリにしか見えない。「ツイッターを使った直接制民主主義」とか言われても、私には比喩として以上にリアリティがあるものには思えない。

結局「ゼロ年代の思想」というのは、インターネットの狭間に見える幻想のようにも思えてきた。ゼロ世代にとっては、こうした言い方は老人の戯言に見えるかもしれないが。

|

« 『神々と男たち』を見られる喜び | トップページ | 羨ましい古書狂い »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/51080435

この記事へのトラックバック一覧です: ゼロ年代は苦手:

« 『神々と男たち』を見られる喜び | トップページ | 羨ましい古書狂い »