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2011年3月23日 (水)

『奇跡』という題名がいい

是枝裕和監督の映画は、題名がいい。『誰も知らない』や『ワンダフルライフ』、『歩いても歩いても』など、つい口癖になりそうなフレーズだ。今回の『奇跡』もまたそんな感じで、題名を聞いたとたんに見たいと思った。もちろん、ドライヤーの名作も思い浮かべたし(ちなみにその原題はOrdet「言葉」という意味)、それ以上にこんなドラマチックな題名をつける以上、相当気合いが入った作品だろうと思ったからだ。

その期待は、いい意味で裏切られた。まずストーリーがたわいない。九州新幹線の一番列車がすれ違うのを見ると奇跡が起こる、という噂を信じた子供たちが、自分たちだけで旅行してその瞬間を見るというものだ。大阪に住んでいたのに両親が離婚して福岡と鹿児島に別れた兄弟が、双方から友人を連れて熊本に向かうという設定に、ちょっと無理がある。

ところが子供たちがお金を都合して、大人の目をかいくぐって行動し始めると、がぜんおもしろくなる。とりわけ熊本の川尻駅に近づくあたりから、子供の動きに目が離せなくなる。
3人の女の子が列車から見る風景。7人で歩き出したところに広がるコスモス畑。偶然に泊めてもらう老夫婦の家で歌うYMCA。そして夜中に背中をあわせて背比べをする兄弟。翌朝、白い旗を持って走る子供たち。

子供たちがひとりでに動き出してる様子は、隠しカメラでも使ったのではないかと思わせるくらい自然だ。
それに比べたら一番列車がすれ違う「奇跡」の瞬間はあっけない。そもそも大阪の夫婦が福岡と鹿児島に別居するのも不自然だし、福岡や鹿児島のシーンも九州らしさが薄く(私は九州出身なので辛い)、原田芳雄たちが演じる鹿児島の老人たちは、方言はしゃべっていても東京のシーンにしか見えない。

それ以前に、この映画を撮る理由は何だったのだろうか、とふと思ってしまうくらい、たわいない。社会問題的なアプローチが目立った『誰も知らない』は言うに及ばず、これまでの是枝作品の中で、最も「軽い」映画ではないだろうか。そしてその軽さにぴったりの子供たちの素顔を引き出したところに、この監督の新境地があるのかもしれない。
6月11日公開。

話は飛ぶが、最近必要があってケン・ローチの過去の映画を見直している。初期の傑作『ケス』(1969)の主人公の子供の自然な演技や学校のシーンに、思わずこの『奇跡』を思い出した。二人ともフィクションとドキュメンタリーの間を模索する監督だ。

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