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2011年4月20日 (水)

内田樹の『映画の構造分析』に失望

内田樹の本はあまり読んだことがない。ニューアカに乗り損ねて居直った元インテリみたいで、どこか苦手な感じがしたからだ。唯一読んだ単行本が『日本辺境論』で、これはそれこそ居直りそのものの本だが、それなりにおもしろかった。そこで文庫になったばかりの『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』を読んだが、これは本当に失望した。

何がおもしろくないかというと、例えば『エイリアン』の分析で、これが最初のフェミニズム映画であり、「フェミニスト=ヒロインとこれを克服させようと家父長的な男性性の間のデス・マッチという図式」と分析することだ。これに「体内の蛇」という神話構造による分析が加わる。文字通り図式的な説明で、これが内田の構造分析だとしたら、そんなものはいらない。
『エイリアン』のおもしろさは、宇宙船という密室空間で、人間の顔に貼りついた生物がどんどん変容して蛇のように大きくなって、人間を一人ひとり殺すという、新しいサスペンスにあるのは間違いない。密室空間の戦いは映画には昔からあるが、相手が何かわからずどんどん大きくなるというのは、本当に恐ろしい。

そのほか、『大脱走』や『北北西に進路を取れ』、『裏窓』などをフロイトやラカンの精神分析を無批判に引用しながら、「構造分析」しているが、あまりに退屈で途中で投げ出してしまう。「『裏窓』は「人間は『自分がほんとうは何を見ていないか』を見ていない」という二重化された無知のうちに観客を追い込む映画である」と説明されても、映画のおもしろさは全く伝わってこないからだ。

『エイリアン』や『裏窓』のような傑作は、精神分析や神話構造分析だけで語るとおもしろさが抜け落ちてしまう。せめて作られた時代と環境がどのような形で反映されているかという、文化史的アプローチをしないと。それ以上に、それらの独特の物語構成や演出が、これらの映画を「今見てもおもしろい」ものにしているのは間違いない。

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