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2011年4月12日 (火)

明治の人々は本当に偉かったのか

福田和也氏の『昭和天皇 第一部』が文庫で出たので読んだ。昭和天皇という存在に興味があったからだが、読んでみてそれ以上に彼を取り巻く明治の偉人達の描き方に違和感を覚えた。本当に明治の人々は偉かったのだろうか。

例えば伊藤博文が主導した日韓併合をこう書く。「けれども、みなが覇権をあい争うこの世界で、あえて覇道を選び、自存自衛の道を歩むことを決意した明治日本にとって、日韓併合は通らざるをえない道だった。/自分が何をしているのか、伊藤にはよくわかっていた。/だからこそ覇者としてのふるまいに、ねんごろな王道の装いをしたかった。/伊藤は、韓国の皇太子を、攫うように連れてゆくことはしなかった」。

鈴木貫太郎は、「鈴木は誠意の塊のような人間だった。職務であっても、人を裏切ったり謀ることにはいっさい手を染めなかった。……鈴木のこうした性格が、やはり真面目で誠実な、昭和天皇に信頼されたのはよく理解できる」。

大隈重信は、「長い時間をかけて練り上げられた駘蕩とした雰囲気に大正天皇は惹かれたが、大隈が気に入られたのは、その開けっぴろげな態度のためばかりではない」。

第一部は「宮中某大事件」(後の昭和皇后が色盲の血筋だったこと)が解決し、皇太子裕仁が欧州に外遊に出るところで終わる。
しかし、第二部以降を読む気は起こらない。こういう、見てきたように英雄を描く手法は苦手だ。

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