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2011年4月28日 (木)

高橋源一郎が「論壇時評」

今朝の朝日新聞を見て驚いたのは、論壇時評が高橋源一郎に変わったことだ。高橋源一郎といえば、かつては『さようなら、ギャングたち』などでポップな日本文学の旗手だったが、90年代からはピンク小説を描いたり、実生活でも何度も離婚したりとお騒がせなイメージだった。

ずっと前に朝日で「文芸時評」を担当した時も、新作の小説の紹介よりも太宰治の知られていない短編を紹介したりして、ぶっとんでいた記憶がある。この人が『中央公論』とか『世界』とかに載る小難しい論文を、ちゃんと読むのだろうか。

実は2年前にこの欄が東浩紀に変わった時も「大丈夫か」と思った。ところが予想以上に論文をたくさん紹介していたし、そのうえでネット社会の未来を信じる彼の視点がところどころに出ておもしろかった。

しかし高橋源一郎の場合はそうはいかないだろう。まず、大地震以来、この国のあらゆる場所が論壇になったとして、「論壇」自体を否定する。今回取り上げたのは、雑誌論文では御厨貴のみで、あとは東浩紀のツイッターと城南信用金庫理事長がユーチューブに発表した脱原発宣言。

城南信用金庫理事長の発言をユーチューブで見た。シンプルだが人間味のある言葉で、一企業が何ができるかを訥々と語っている。この一か月の論壇の文章よりこれにを目の覚める思いがしたという高橋の主張は、まさに論壇そのものの無化だろう。今後この欄がどうなるか楽しみだ。論壇好きの朝日が彼のアナーキズムに耐えられるか。

左肩の小熊英二の文章は、地震で見えた分断された日本近代の姿を克明に浮かび上がらせていて感動的だ。

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