『八日目の蝉』を読む
角田光代の小説『八日目の蝉』を読んだ。29日に公開の映画版を見て、その展開のうまさに唸ったので、原作を読んでみたくなった。読後の感想を一言で言うと、小説も同じくらい感動した。同時に映画と小説の違いもよくわかっておもしろかった。
小説は、一章が愛人の子供恵理奈を盗んで逃避行をする希和子の物語で、二章は17年後、かつて盗まれた娘が大学生になって自分探しをする毎日を描く。映画はこの二つを同時に進行させるわけで、フラッシュバックという典型的な映画の手法だ。
小説を読むと、いかに映画が細部の要素を減らしているかがわかる。まず、希和子に父親の保険金や遺産があったことは省かれ、恵理奈の妹もいない。希和子は小豆島では素麺屋に住み込みで働くが、小説ではその前にラブホテルで働く。希和子は小説では男性を紹介されるが、映画にはない。娘を盗まれた母親の恵津子は小説では愛人を作っているが、映画では省かれる。
映画で加えたところは少ない。大学生になった恵理奈が訪ねるエンゼルホームが、小説ではまだ続いているが、映画では誰もいないあばら家になっているのは、いかにも映画らしい光景だ。
映画で膨らませたのは、最初の裁判のシーンと、ラストの写真館のシーン。小説では裁判のシーンは後半に短く描かれただけなのに、映画では冒頭の迫力あるシーンになっている。
最後は、小説では身重の恵理奈をそれとわからずに小豆島の港で見る希和子が淡々と描かれている。映画では、最後に希和子が恵理奈と写真を撮った写真館を、恵理奈が訪ねる。そこに、かつて希和子が港で逮捕されて恵理奈と別れる劇的なシーンをかぶせて交互に写す。恵理奈は写真を現像してもらい、それがアップになって、動き出す。そして恵理奈は生まれてくる子供のことを「この子が好きだ、何でだろう、まだ顔も見ていないのに、何でだろう」という小説にない唯一のセリフを吐く。
これまで小説と映画を比べたことはあまりなかったが、今回はどちらもおもしろかったので、小説を映画化する時のいい見本を見た気がする。そういえば、『わたしを離さないで』も小説と映画の両方とも良かった。
それにしても、映画を先に見ると、小説を読んでいてもどうしても永作博美と井上真央の顔がちらつく。やはり小説を先に読んだ方がよかった。
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