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2011年4月27日 (水)

『さや侍』は映画ぎりぎり

妙なものを見た。6月11日公開の松本人志監督作品『さや侍』。実を言うと、この人がこれまで監督した2本を見たことがなかった。かなり話題になったのだが、なぜか食指が動かなかった。予告編をみるだけで、見たような気になったからかもしれない。今回『さや侍』を見て思ったのは、「映画ぎりぎり」ということだ。

今回は松本人志本人は出演しないし、そのうえに時代劇だ。ほとんどが撮影所の立派なセットの中で進行する。ところが出だしから映画になっていない。野見隆明演じる「さや侍」がさやだけの刀を差して走り、悪党に襲われるのだが、その誇張されたギャグはとても映画のものではない。「自害しましょう」と勧める娘も、芝居がかって妙な感じだ。

牢に入れられたさや侍は、30日かけて若君を笑わせるという「30日の業」を課せられる。つまりは一人芸を30も見せるという、芸人監督ならではの内容だ。最初はうどんを鼻から食べたり、ドジョウすくいをしたりするが、若君はおろか、映画を見ている私も全くおかしくない。「切腹を申しつける。残り29日!」と伊武雅刀演じる家老の声が響く。

芸を野外の一般の庶民の前で見せることになってから、ようやくおもしろくなる。さまざまな機械仕掛けが出てくると、だんだん映画らしくなってくる。あるいは無意味そのものの機械やアクションは、むしろ現代美術か。裸になって墨を塗った体で絵を描くシーンは、フランスのイヴ・クラインの「人体測定」そのものだし、障子をいくつも乗り越えてカステラを届けるシーンでは、「具体美術」の村上三郎を思い出した。

さや侍の芸で次第に庶民が盛り上がるようになり、若君の表情も和らぐ頃、30日が終わる。突然歌で誤魔化すような結末も、映画というよりは舞台に近い。通常の映画の楽しみとは異質なものだが、見ておもしろかったのは事実だ。映画すれすれだがおもしろい、というのが松本映画の醍醐味かもしれない。

彼の映画がヨーロッパで高い評価が得られるのは、「映画すれすれ」の表現に映画の限界を突き詰めるような探求があるからだろう。本人がどこまで意識的なのかはわからないが。

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映画」カテゴリの記事

コメント

つまらん、松本の映画などすべてつまらん。

投稿: じじい | 2011年6月11日 (土) 20時47分

過去二作とも新しい絵がありました。それがなぜみえないのかとおもいます。

投稿: にゃんこ | 2011年6月12日 (日) 22時17分

ヨーロッパで高い評価???

投稿: | 2011年6月13日 (月) 02時02分

いい映画でしたよ。
そもそも映画の定義なんてないんだから、
ギリギリなんて表現はないと思いますよ。

あまり低い評価をすると
海外にもっていかれますよ。
才能だけなら世界レベルなんだから。

投稿: かとちゃん | 2011年6月13日 (月) 16時46分

今回の映画を観て、ついに監督が覚醒したなと思いました。過去2作品には無かった涙がありました。笑いと涙をミックスするだけで良いものが出来るんだと思いました。もちろん笑いがしっかりしているから出来るんでしょうけど。
わからない人は見なくていいと思います。わからない人は可哀想ですねぇ~

投稿: | 2011年6月13日 (月) 18時18分

僕は趣味といえるほどの映画好きではないため映画の手法やルールは分からないのですが、そういう映画らしい映画は本職の映画監督が撮った良質なものを観ればそれで足ります。わざわざ好きこのんで副業の映画監督の作った映画を観るのであれば、映画らしさよりその人らしさを目当てに観た方が楽しめるんじゃないかと思います。そういう意味ではとても松本人志らしい、人間くさい映画でした。松本紳助(昔松本人志と島田紳助でやっていたバラエティ番組)などで松本人志の人柄を知っている人は、「まっちゃんらしいなあ」と感じたのではないでしょうか。

投稿: | 2011年6月13日 (月) 18時25分

映画ぎりぎり。この表現にあなたの映画を見る姿勢が全て凝縮されてますね。
つまり、あなたのような人が見るべき映画ではなかった。

投稿: | 2011年6月13日 (月) 20時28分

>映画ぎりぎり。この表現にあなたの映画を見る姿勢が全て凝縮されてますね。
つまり、あなたのような人が見るべき映画ではなかった。


どういった人が見るべき映画なんですか?

投稿: | 2011年6月14日 (火) 04時02分

名文ですね。卓見に感心しました。
映画「さや侍」に関する文章は結構読んできましたが、
その中で最も優れた論評では・・・・などと思いながら
いっきに読みました。
毀誉褒貶は浮世の常とはいうものの、論評の真価を
解しない者少なからず・・・まことに残念!
映画監督に 「表現の自由」が保証されているように、
なんびとにも 「言論の自由」あり、です。

投稿: あきこ黒澤 | 2011年6月15日 (水) 03時50分

そもそも『映画ギリギリ』という言葉に対して、名言とも思わなければ、適切とも思わない。
フィルムで撮って、監督がいて、スタッフ、役者がいれば、映画なのだ。
村上氏などの名前を出し論じておられるが、そもそもあれらの場面を論点の対象にするのが間違いであるように思える。
映画全体で観るとするなら、むしろオーソドックスと言えると思う。あの全般からの若手芸人並にやるバカバカしさが観客は面白いのであり、その『芸』一つを具体的に対象として論じても、何の批評にもならないと思う。
ただ、とてつもなく凄い映画とも言えないし、逆に、全体としてオーソドックスな方向に『逃げた』という松本監督に対しては言えなくもない。しかし、この『さや侍』という松本監督独自の着目点と、映画全体を観た感想としては、わたしは好きだった。

投稿: リーフ | 2011年6月16日 (木) 01時27分

映画の定義ってなんだ
映画はなんでもあり

あなたが納得したら、それはごくごく普通のなんともない映画
そんなの作ろうと思って作ってない

視野が狭い人間はつまらないですよ

投稿: | 2011年6月16日 (木) 10時43分

つまんないコメントキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!

投稿:   | 2011年6月19日 (日) 22時17分

マツモト・ニュー・シネマ。
新ジャンルを確立しつつある。
この人はやっぱ、天才だと思う。

投稿: | 2011年6月21日 (火) 03時13分

誰か、松本のこれ以上の暴走を止めさせようとする勇者はいないのか。

投稿: 寝起き | 2011年6月26日 (日) 21時11分

TAKESHI KITANOパターン。
MATSUMOTOを理解できん人は恥をかくことになる。

投稿: | 2011年6月28日 (火) 03時40分

僕の周りでは映画中のギャグが全然笑えないという批判が多いけども、はっきり言って松本人志は本格的に笑いを取りにいってはいないと思う。そんなものはダウンタウンDXでも見ればそれでいいし。松本人志本人もインタビューで言っているが、この映画で彼は「ヘタウマ」というやつを求めていて、これは元々万人受けする種の笑いではない。つまらない人にはつまらない。はっきり言って、映画向きじゃないと思う苦笑 
だからむしろ、この映画では松本人志の笑いの才能よりも、人を泣かせる才能の方に目を向けた方が、楽しめると思う。特に最後の歌の歌詞は、しびれた。僕が見た映画館では笑い声より鼻すする音の方が多かったと思うな。

投稿: nex_agari | 2011年6月29日 (水) 15時47分

この映画の本質に絞って言うと
『侍・生・死とは?』 
という哲学(宗教)ではないかと思います。

結果的には
『死んで初めて親と子の「絆」は
永遠となるのかもしれません』
という手紙の言葉で、文字通りその考えに能見氏が到達したのがわかります。

娘に背中を押されながら30日の業を通して
自らの『自害・死・侍』と向き合う中で、妻の『死』を受け入れる哲学を手に入れます。
(どこで?となると、協力的な周りの人の行動をきっかけに、としか私にはわかりません。ここはもっと描くべきだったんですが、能見氏を主役に置く別のメリットを優先したんでしょう)

それは妻の死をきっかけで、刀を捨て脱藩した事に対する罪を受け入れる事、
すなわち『切腹する事』を受け入れる事で表されています。
切腹するという事は妻の死を認めたという事と同時に、その強さを手に入れたという事。

切腹ができた強さとは、妻を含めた『家族の絆』は『死』を超越し永遠であるという考えにたどり着いたからです。
『巡り 巡り 巡り 巡って いつか 父が あなたの子に 生まれるでしょう』
という考えです。
しかしその考えは美しき『侍』でないと成立しないのでしょう。救われないのでしょう。
だからこだわって『死』を選ぶのでしょう。

ここが非常に宗教的で腑に落ちない人は納得できない所かと思います。
要するに信じる者は救われるという事です。

だから宗教的な哲学的な内容の映画となっているといえるのかもしれません。
本質を改めて解釈せずとも、感覚的に伝わる部分があり無意識に涙は流れ感動もできる作品ですが、松本人志にはもっともっと正真正銘の名作を期待しています。

投稿: esp | 2011年6月30日 (木) 15時54分

「裸の王様」
松本人志という裸の王様がいて
その笑いがわからないと、頭が悪い人だと思われる。
だから面白くなくてもみんな笑ってる。
周りの芸人も面白くなくても笑ってる。
面白くない時は、松本人志のプライドを傷つけないギリギリのラインでフォローして、
ギャグを成立させている。
この技術は素晴らしい。
だけど王様は裸だ。
芸人でありながら、周りの芸人より格段に高いギャラを貰っていながら、
全然頑張っていない裸の王様だ。

誰か言ってやりなよ、王様のギャグは寒いよって…

そしたら奴はこう答えるよ。

だって裸だもん…って

投稿: moezo | 2011年7月 2日 (土) 21時11分

北野も松本も、日本での評価が低いね。
残念。

投稿: | 2011年7月 7日 (木) 22時22分

身内擁護だけはまずいぞ。面白くないものは面白くない。

投稿: 利害関係無し | 2011年7月16日 (土) 05時44分

美術、音楽、文学などを包含した総合芸術を映画と言うらしいが、いずれの分野でも、送り手と受け手のレベルの対峙だと思う。昨今は、映画に限れば、CGの導入でコスト削減のみならず、幅広く恩恵に浴している。今回、「映画すれすれ」の表現…ウンヌンが物議を醸しているようだが、松本人志監督からすれば、「さや侍」を(すれすれ)の感性で送りだしているのではなく、これからずーっと先の道程の途中で、「こんなんでどうかな」位の、まだまだ余力を残しているテスト段階の作品ではないだろうか。いずれにしても、北野監督に追いつき追い越せの
位置まで来ていると、私は確信している。

投稿: 並木眞人 | 2011年9月22日 (木) 15時17分

名作では無いな

投稿: ノエル | 2011年12月24日 (土) 07時04分

裸の王様のやつ、松本人志が寒いとか言ってる時点で笑いがわかってない
松本人志の笑いはズバぬけている

投稿: ラーメンマン二世 | 2012年2月26日 (日) 10時28分

物語の意図がわかりやすくてよっかった、考え深い作品だ
映像もよかった

投稿: 丸谷 | 2012年3月11日 (日) 21時43分

良い意味でも悪い意味でも世間の評判って当てにならないなと再認識させてくれた作品だった
当たり前のことだが、自分の感性に合うか合わないかなんて結局は自分で観てみなければ真に理解はできないのだな
ギャグは評判どおり基本つまらなかった
だがしょっぱなの果物ゾンビ顔とか鼻割り箸とか、そういう顔のまま放置とか、人面万華鏡などなど、一部は激しく笑えた
泣かせる部分では確かに感動した
だが同時に臭過ぎるあざとさや投げっぱなし感も鼻についてきつかった

でも何だかんだで個人的には好きなタイプの良い映画だったので観て良かったと思う
超ダサい間抜け面なおっさんが恐ろしく格好良く見える切腹前の一瞬の表情
あの演技凄すぎるだろ・・・・・・人生が滲み出るってああいう顔なんだと初めて素で感じた
監督の心情の代弁なのか、お情けでもらえる笑いなんて要らねーんだよクソがとでも言いたげなあの展開も良かった
その少し前に奇跡じみた風が吹いたりする予定調和な展開に軽いがっかりを感じてただけに、良い意味で驚いた
全部を通して観る事はもう無いと思うけど、部分部分では、これから先何度もふと観たくなって観返したりすると思う

投稿: | 2012年3月20日 (火) 15時51分

表情 仕草 語りくち

私は五回見ましたが五回泣きました

これがくだらない映画だと言うならば
想像力 理解力 思いやりがかけてるんでしょうね


あなた映画を語らないでください

投稿: | 2012年4月25日 (水) 20時58分

あの映画は良かったよ

ではお聞きしたい、ギリギリじゃない映画って何さ?

投稿: 食道のパン | 2013年2月17日 (日) 03時59分

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