新世紀に化けたベロッキオ
去年の「イタリア映画祭2009」で上映されたマルコ・ベロッキオ監督の『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(映画祭では『勝利を』の劇場公開が決まり、再見した。映画祭の前にDVDで見ていたから正確には3度目だが、何度見ても興奮する傑作である。
ベロッキオは、26歳の時に『ポケットの中の握り拳』(65)というとんでもない問題作を撮ってしまった監督だ。しかしながら同世代のベルナルド・ベルトルッチが『暗殺の森』『ラスト・タンゴ・イン・パリ』と一作ごとに話題を集めていたのに比べると、ベロッキオはいささか生彩を欠いていた。日本でも『肉体の悪魔』(86)くらいしか公開されなかった。私が海外で見た『虚空への跳躍』(78)や『目と口』(82)なども、魅力的ではあるが、どれも「革命の後」の図式性が気になった。『乳母』(99)まではそうだった。
ところが、21世紀になって俄然おもしろくなった。化けた、と言うべきだろう。『母の微笑』(02)における教会と家族のシニカルな戦い、『夜よ、こんにちは』(03)で描かれた革命家たちの絶望的な戦い、『結婚演出家』(06)では映画監督の生き方そのものを俎上に上げた。その善と悪にまたがるような、両義的な戦いぶりのもたらすサスペンスといったら。
そして『愛の勝利を』で、さらに飛躍する。今回描かれるのは、最近の数作品のような純度の高い戦いではない。極めて夾雑物の多い世界なのだ。まず過去のドキュメント映像があり、それから未来派風の文字がゴダールの映画のように飛び交う。そして病院で流されるキリストの映画や、チャップリンの『キッド』。あるいは後に出てくる精神病院の患者のショットを、その前からところどころに挟み込む。
若きムッソリーニを演じるフィリポ・ティーミも、その愛人役のジョヴァンナ・メゾジョルノも、ベロッキオ映画とは思えないほど感情をむき出しにする。ティーミは、ムッソリーニのドキュメント映像が出てきた時は全く似ていないと思うのだが、次第に似通って見えてくる。そして自分で息子を演じる恐ろしさ。
映像のすばらしさについては、後日書く予定。5月28日公開。
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