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2011年4月21日 (木)

新藤兼人の何でもありの神業

もうすぐ99歳になる新藤兼人監督が昨年撮った『一枚のハガキ』を試写で見た。昨秋の東京国際映画祭で審査員特別賞を取って、その授賞式の発言などが話題になった映画だが、見ていなかった。見始めると最初はその芝居臭さが気になったが、途中からどんどん引きずり込まれてしまった。


映画は昭和19年の夏、天理教で100人の中年兵が集まるシーンから始まる。どこかわざとらしいし、六平直政が歌を歌いはじめるに及んで、芝居臭さが気になりだした。六平が友人の豊川悦司に見せる妻からの葉書には「今日はお祭りですが、あなたがいないので何の風情もありません」。

そして六平の出征のシーンがあったかと思うと、次には遺骨が帰ってくる行列が映る。その図式的な描き方。妻の大竹しのぶと両親役の柄本明や倍賞美津子の大げさな演技。

ところが六平からはがきを託された豊川が大竹しのぶを訪ねるあたりから、不思議な雰囲気が立ち込めてくる。最初は葉書を渡して帰るつもりが、六平の話をしているうちに食事をし、さらに一泊することになる。豊川と大竹の丁々発止に、村の役人役の大杉漣が加わって、真剣でありながらコミカルでシュールな室内劇が展開する。

ロングで長いショットで撮ったり、180度切り返したり。カメラも編集も何でもありで、その俳優たちの摩訶不思議な芝居を追いかける。豊川と大竹が20万円をめぐって押し問答をしたり、豊川と大杉が庭で殴り合いをしたり。大杉は大蛇踊りまで披露する。ブラジルに行くはずの豊川は、いつのまにか大竹と農業を始める。

見終わって、その予測不能の大らかなご都合主義的展開と役者たちの何かが乗り移ったような渾身の演技の奇妙な混淆に、深い感銘を受けた。まさに老境ならではの何でもありの神業である。
今夏公開。

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