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2011年4月23日 (土)

ネット社会の将来

佐々木俊尚氏の新刊『キュレーションの時代』を読んだ。「読んだ」というより斜め読みしたという方が近いかもしれない。書かれているのは、新聞やテレビや雑誌のようなマスメディの情報を人々は求めておらず、個々人が自分に必要なものをネットで選択する時代となったという内容だ。

現在は人々の価値観が多様化して、マスメディアはそれをとらえられない。情報を求める人々は「ビオトープ」のようにそれぞれがひっそりと棲息している。ネット、とりわけツイッターなどのソーシャルメディアが国を超えてその人々をつなぐという。

もちろん中東革命や今度の地震でフェース・ブックやツイッターが大きな役割を果たしたことは否定しない。しかしそれが「明るい未来」につながるというのは、あまりにも楽観的な考えのよう思える。
佐々木氏は、CDが売れなくなった音楽業界やDVDが売れなくなった映画業界の例を出して、マスのマーケットが終わったことを説明する。しかし業界に少しでも詳しければ、それらの原因は別のところにあることは明白だ。マスのマーケットは歴然と存在し、『アバター』などの大ヒットが証明するように、むしろ大きくなっている。

「キュレーションの時代」というのは、ネット上で自分に合った情報を選択してゆくことのようだ。それがグローバルな世界につながり、文化の多様性を保証するという。何という楽観論。

そういえば、ほかでも似たようなネット社会楽観論を読んだ。講談社のPR誌『本』に連載していた東浩紀氏の「一般意思2.0」だ。最終回の4月号には、「未来社会の設計」と題して、20代の男の未来像を描いている。無職で政府から基礎所得を受け取り、ネットワークとソーシャルメディアで世界とつながってゆくという話だ。こちらは佐々木氏の本よりずっと高級だが、基本的には同じようなネット楽観論だ。

資本主義の支配がどんどん強まる中で、ネットにかじりついている人々の大半は社会に出られないままに搾取される弱者だ。最近の大学生を見てそう思う自分は、やはり「古くさい」のだろうか。

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