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2011年4月13日 (水)

羽田澄子の遺言のような映画

羽田澄子というドキュメンンタリー監督がいる。今年85歳だが、元気に映画を撮り続けている。その新作『遥かなるふるさと 旅順・大連』を見た。映画は、彼女が少女時代を過ごした旅順を歩くという自伝的なもので、まるで遺言のように思えた。

羽田氏の姿を最初に見たのは20年以上前だが、この映画に出てくる彼女はその頃とほとんど見た目が変わりない。小柄で控え目な様子でいつも微笑んでいるが、時おり意志の強そうな表情を見せる。

旅順は軍港ということで、長い間外国人には解放されていなかったという。2009年秋に全面解放されて、羽田氏はかつて住んだ人々が参加するツアーに参加する。映画は彼女を淡々と追ってゆく。かつて通った小学校や中学校がそのまま残っている。そのままの講堂に入る元生徒たち。

圧巻はかつての自宅を訪れるシーンだ。突然訪れたにもかかわらず、にこやかに招き入れる中国の人々。羽田氏が昔住んだ家には、現在3つの家族が分かれて住んでいる。「ここは父の書斎だった」。
彼らの家は洋風建築で、アカシアの立ち並ぶ道と共に美しい風景をなしている。その背景に並び立つ高層ビル群。

帝政ロシア時代の建物、日本支配時代の建物、そして再びソ連支配時代の建物や記念碑が並ぶ。旅順博物館や旅順監獄跡。過去の歴史がそのままに残っている。

ツアー客と分かれて大連に行く。かつての家は麻雀屋になっていたが、大連駅も、大連病院も満鉄本社も大和ホテルも昔のままの建物が残っている。

映画は羽田氏の東京の自宅の前で始まり、そこで終わる。「ついこのあいだ、ここに来たような気がする」。
昨日このブログに書いた福田和也著『昭和天皇 第一部』が描く時代の、普通の人々の日常をかいま見た気がした。
6月11日公開。


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