「陰影礼讃」のススメ
今回の震災を受けて、これまでの日本人の生き方や社会を見直そうというような論調が目立つ。だけどそこに具体的な道は、あまり提示されていないようだ。そこで私は谷崎潤一郎にならって「陰影礼讃」を提案したい。これは個人ですぐにもできる。
もともと第二次大戦後の日本は、「明るさ」を「文明」と考えて、ひたすらに照明を増やしたのではないか。道路も建物も、家庭の中も、煌々と光る蛍光灯が文明の象徴だった。我々の世代には懐かしい「明るいナショナル、何でもナショナル」という高度成長期のテレビスポットが、それを物語る。
しかしヨーロッパに行くと、その照明の暗さに驚く。暗さと言うよりも、少ない照明が織りなす陰影の深さだ。ホテルの部屋では最初は暗さに戸惑うが、慣れるとむしろ落ちつく。レストランではテーブルに着くと、蝋燭を1本つけてくれるところも多い。その揺れる光の美しさといったら。
震災後の節電で、駅や店舗、会社などの照明が減った。今までの半分くらいになってちょっと怖い場所もあるが、多くは全く問題がない。これは照明について考え直す好機ではないか。もともと蛍光灯は一律に照らすため、美しい光ができにくい。電球の方がずっと陰影があるが、消費電力が多かった。しかし最近はずっと電力の低いLED電球もできた。蛍光灯をまばらに照らすと単に貧乏くさいが、少なめの電球を効果的に使うと、光と闇の美しい光景ができあがる。
沈黙があって音楽が際立つように、闇と拮抗する光は美しい。ゆっくり光を見つめるような、そんな余裕のある日々を送りたい。谷崎を引くまでもなく、「陰翳礼讃」はもともと日本の文化だったのではないか。
今日は何だか「天声人語」みたいになったけど、ブログを始めてほぼ2年です。これからもよろしく。
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