映画の教室
図書館で最新の『映画芸術』をめくっていたら、「映画の教室」をテーマにした座談会がいくつかあったので、気になって本屋で買った。何より驚いたのは、現役の若手の監督たちの多くが大学の専任教員だということだ。
座談会に出ているだけでも、諏訪敦彦(東京造形大学長)、林海象(京都造形大映画学科長)、天願大介(日本映画大学学科長)、前田哲(東北芸工大準教授)。
これに大森一樹(大阪芸大映像学科長)、緒方明(日本映画大学教授)、黒沢清(東京芸大教授)、高橋伴明(京都造形大教授)、原一男(大阪芸大教授)、榎戸耕史(桜美林大学教授)、中原俊(日本映画大教授)、高橋洋(愛知淑徳大教授)、成田裕之(宝塚大教授)、崔洋一(宝塚大教授)、根岸吉太郎(東北芸工大映像学科長)、石井聡互(神戸芸工大教授)、篠崎誠(立教大教授)、万田邦敏(立教大教授)など。もっといるだろう。加えて脚本家や撮影監督も多い。
座談会の内容は、想像の範囲内だ。映画を見せるか、技術を教えるか。知的探求を教えるか、将来の働き口につなげるか。デジタルだけか、フィルムも教えるか。劇映画だけか、実験映像も教えるか。
おもしろかったのは林海象の指摘で、映像教育が始まったのが70年代から80年代で、東京造形も京都造形も松本俊夫がその中心にいたという事実。その頃は実験映画の監督たちが大学に行き、今は劇映画の若手監督が大挙して大学で教える。
私が監督たちに本当に聞きたいのは、「あなた方は大学で教えるのに時間を費やして、映画を撮らなくていいのですか」ということだ。自分でも感じるが、教えるということには、麻薬のような甘美な麻痺作用がある。一度始めるとなかなか止められない。
同じ『映画芸術』で、桂秀美や荒井晴彦らの団塊おじさんたちが、『マイ・バック・ページ』に怒っているのがおかしかった。
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