ドキュメンタリーとジャーナリズムのはざまで
7月16日公開の『いのちの子供』というドキュメンタリー映画を見た。パレスチナ問題を扱ったものでなかなか見応えがあったが、ちょっと複雑な気分になった。監督がジャーナリストで、取材をしながら事態の進展を撮ってゆくという形だったからだ。
もともとドキュメンタリーには、「やらせ」の部分がある。最初の映画とされるリュミエール兄弟の『列車の到着』だって、ホームにいる人の大半がリュミエール家の人々だということが、最近の研究でわかっている。実際のできごとをよりリアルに見せるために、監督は何らかの演出を加え、撮られる側もカメラの存在を意識せざるをえないのがドキュメンタリーだ。
『いのちの子供』は、監督のエルダールがジャーナリストとして画面に出てくるからさらに複雑だ。ジャーナリストというのは、人の不幸をネタにして飯を食っているところがある。この映画は、イスラエルの病院に運び込まれたパレスチナのガザ地区に住むアラブ人の子供の治療をめぐる話だが、そこにジャーナリストの目が加わることで、どこかしら不純な要素が生まれる。
おもしろいのは、子供の母親がジャーナリストに冷たいことだ。テレビで寄付を呼びかけようとすると「無駄よ」と言い、「息子は殉教者になってもいい」と言う。子供が助かってもあまり感謝する様子は見せないし、紛争が起こったの後に再会しても嬉しそうではない。撮る側と撮られる側の祖語が、逆にこのドキュメンタリーに重みを加えている。
それにしても日本人にとって、パレスチナ問題は遠い。とりわけ今は、地震だ、原発だと身近な悲劇のことを考えているだけに忘れがちだ。しかしこの映画を見ることで、かの地ではもう何十年も紛争が続いていて、今も解決方法が見当たらない現実を再認識するきっかけになる。
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