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2011年7月19日 (火)

『やがて来る者へ』または視線の映画

イタリア映画『やがて来る者』は、第二次大戦末期のイタリアにおけるドイツの虐殺を描いた映画である。そう書くと「またか」と思われるかもしれない。ロッセリーニの『戦火のかなた』の昔から、最近ではアメリカ映画『セントアンナの奇跡』まで、何度も見たような気がするからだ。

そのうえ、この映画は117分もあるのに、ドラマチックな筋立てがない。実際に起きたであろう事件が淡々と描かれてゆき、結局はほとんどが虐殺されてしまう話だ。イタリアのパルチザンにもドイツ兵にも感情移入できる人物は出てこないし、村人たちも何人かの中心的存在も含めて次々に殺されてしまう。

唯一一貫しているのは、主人公らしき少女の視線だ。彼女は言葉が話せない。生まれたばかりの弟を連れて逃げ回り、ひたすら見るだけだ。パルチザンの内輪もめを見て、ドイツ兵が村人の牛を強制的に連れて行くのを見る。あるいは母親と蛍を見る。ドイツ兵がパルチザンに殺され、ドイツ兵が村人たちを殺すのを見る。

すべての殺戮を見た後で少女は声を取り戻す。これまでの視線が歌声に昇華するような一瞬だ。

ロッセリーニの映画が、アンナ・マニャーニやイングリッド・バーグマンが戦後の荒廃したイタリアをひたすら「見る」姿を描いたとするならば、この映画は明らかにネオレアリズモの正統的な系譜に連なるだろう。10月22日公開。

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