「シネコンは映画を滅ぼすか」という愚問
昨日の「朝日新聞」朝刊のオピニオン面に、「争論 シネコンは映画を滅ぼす」という見出しで、シネコンの是非について2人の論者が語っていた。そもそも何という愚問だろう。たとえば「インターネットは人間関係をゆがめるか」という類の、懐古的なオヤジのつぶやきに近い。
シネコンは、資本主義の中で映画界が生き延びるために生み出したものだ。それはいいも悪いもない。確かなことは1993年にアメリカから導入されて、日本の観客が圧倒的に支持し、今や邦画大手を中心にスクリーン数の8割を超える存在になったことだ。
この愚問に答えている2人もオヤジのつぶやきのようだ。斉藤守彦氏は映画界のメジャーの意見を代表する。シネコンによって日本映画は活況を呈している、と。言っていることに間違いはないが、この人には作家性の強い映画というのは、全く眼中にないようだ。そうしたら、この人が答える意味はない。
もっと困ったのは、寺脇研氏。ミニシアターは文化であり、シネコンはブロイラー。典型的な文化エリートの「上から目線」だ。そしてミニシアターが最近消えたのは、メジャーな映画をかけたからで、映画館に行かない新聞記者はそれがわかっていないという。確かに恵比寿ガーデンシネマもシネセゾン渋谷も一時期そうだったが、それは単にアート系の映画人口が減って、映画館が借料を払えなくなったからに過ぎない。これらの映画館はオーナー会社ではなく中規模の映画会社がやっていて、支配人もその会社員だったし。
この人にはシネコンは金儲けのみを考え、ミニシアターは文化を考えるという図式があるようだが、ミニシアターだってそれが儲かるから続けているのだ。東京以外ではむしろミニシアターは増えている。
シネコンがもたらしたいいこともある。地方で公開される映画の本数が爆発的に増えたことだ。あるいは舞台やコンサートなど、地方で見られなかったものが、シネコンで見ることができるようになった。寺脇氏は「もはや映画館と呼ぶのはふさわしくない」と言うが、映画以外の上映は映画業界にとっても舞台などの業界にとっても新たな収入源だ。
本当の危機は、若い観客が多様な映画を求めなくなっていることにある。シネコンであろうとなかろうと、作家性の強い映画はシニアに支えられているのが現状だ。映画を大学で学ぶ学生さえも、多くは大量の宣伝を打つ映画しか見に行かない。これを変えないと、日本の映画界に未来はない。
それを変えるのは、たぶん「教育」しかない。大学も大事だが、それ以前に小さい頃から「良質の古典映画」「もうひとつの映画」を見せるしかないような気がする。元文部官僚の寺脇氏はこのことをどう思っているのだろうか。
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