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2011年7月 3日 (日)

もうひとつの北村太郎

数か月前にねじめ正一の小説『荒地の恋』を読んで、いたく心を動かされた。詩人の北村太郎氏の中年以降の愛の放浪を描いたものだが、その不器用な生き方に妙にはまった記憶がある。この間芥川賞を取った朝吹真理子氏が、最近どこかの書評で紹介していたのが『珈琲とエクレアと詩人 スケッチ・北村太郎』。

著者は橋口幸子で、フリーの校正者らしい。北村太郎が一時期住んでいた鎌倉の家を間借りしていた縁で北村と仲良くなった彼女が、そばから見た詩人を淡々と描いた好著だ。時々会う北村の姿をスケッチのように書いた本だが、その断片的なイメージが妙にリアルに迫ってくる。

鎌倉の家とは友人の田村隆一の妻が住んでいたところで、一時期北村と関係があって、一緒に住んでいた。田村がその家に戻ってきたため、ほかに避難した北村は、ある夜著者と飲んで、家に帰るなり田村の妻に電話する。「『わたしの恋はおわたのねー』と歌の一節をうたうとがちゃんと受話器を置いた。びっくりしているわたしには目もくれないで、涙ぐんでいたのだった」。

女を取り合った北村と田村のことは「六十を目前にしたそのころでも、ふたりは少年のようであった。ふたりともこころのままに生き、こころのままに行動し、こころのままに態度で表すところなどは本当によく似ていた」。

北村はソーメンが十八番だったという。和風のロールキャベツも自信の一品だった。「料理をつくると、必ず、片づけまで自分でやらないときがすまないのだった」。

「北村さんを思うと今でも、胸がいっぱいになるのはなぜだろうか。いつもわたしには優しく接してくださった。最後の一、二年は決して幸せな環境ではなかったけれど、じっと耐えてい生きている北村さんがいた。苦笑い、照れ笑い、嘘笑いといろんな顔が目に浮かぶ」。

周囲にこんな爽やかな印象を残せる中年になりたいけれど、僕は無理だろうな。

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