いつだって大変な時代
堀井憲一郎という書き手がいる。いつも『週刊文春』の連載「ホリイのずんずん調査」が妙に気になっていた。そこで読んだのが、新書版新刊の『いつだって大変な時代』。オビの「大変大変と言い続ける私たちの頭の中を徹底解剖」という言葉に惹かれた。
少し前は「百年に一度の不況」と言われていた。あるいは昨夏は「史上最高気温」。今は「千年に一度の大震災」。このような発想を堀井は、「自分が特別だ」と思いたいからだ、とする。「その延長線上として“特別な自分が生きているいま”は特別であってもらわないと困るのだ」。
「バブルは後から作られた歴史用語」と言う。バブルのまっただだ中の80年代は、バブルとは言わなかったと実証する。バブルと言う言葉がマスコミに溢れるのは90年以降だ。実際、バブル期は「貧乏人の祭りであった」と言うのはよくわかる。
あるいは3Dは戦前から存在すると言い、過去の雑誌記事で実証する。あるいはDVDがいかに脆いか。
「無縁社会」という言葉の流行に、「“無縁社会の怖さ”を訴えてる人は有縁社会の人である」と反論する。「おれたちは無縁社会を作ろうとすごく頑張った。無縁になっても大丈夫、無縁でも生きていけるという社会ができて、すごく喜んでいたではないか」。
要するに、支配的なムードや世論を疑いましょう、と言っているだけだが、彼の不思議な実証とわかりやすい文章で、おもしろく読むことができる。
そういえば、佐々木中という若い思想家が、「歴史の終わり」とか「人間の終焉」とかという発想は、素朴な自己愛の結果だと述べていたのを思い出した。それではオウム真理教やナチスレベルの終末論でしかない、と。この人の本は引用ばかりでひどく難しいけれど、現代を特別だと思うのは愚かだという部分は堀井憲一郎と共通している。
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