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2011年8月16日 (火)

『ツリー・オブ・ライフ』に半分退屈する

今年のカンヌでパルム・ドールを取った『ツリー・オブ・ライフ』を映画館で見た。15分くらいたったところで、突然天地創造が描かれ、原始時代の恐竜などが出てくるのでどうしようかと思ったが、終わりまで見ると、家族劇はそれなりの見ごたえがあった。それでも宇宙や生物の映像部分は、私には退屈だった。

出世できなかった自分にコンプレックスを持ち、子供たちを強い人間に育てようとする父親と、それに反発する3人の息子たちの葛藤は、実に丁寧に描かれている。ブラッド・ピットが子供に嫌われる父親をうまく演じているし、3人の子供たちも性格が微妙に違い、かつそれぞれが少しずつ成長してゆくところが繊細に描かれている。

しかし現代のショーン・ペンのシーンは、いかにも抽象的だ。ひたすら憂鬱な顔をして高層ビルのオフィスを歩くだけで、彼らしい演技はやりようがないという感じだ。そのうえ、彼の幼いころは描かれても、弟をなくしたという青年時代は全く出てこないため、相当の欲求不満になる。

もっと抽象的なのは、宇宙や生命の映像。配給がディズニーなので、得意とする自然のドキュメンタリーを借りてきたのかとさえ思った。時おり現れる虹のような映像は、まるでパソコンの待ち受け画面レベルの凡庸さだ。『2001年宇宙の旅』にも抽象的な映像はあるが、これほど長くないし、全体の流れの中に納まっている。むしろ『コヤニスカッツィ』のようなイメージ映像というべきか。

バッハ、モーツァルト、ブラームス、スメタナなどクラシック音楽が、これでもかと流れる。それぞれの場面に見事にマッチしているので聞いていて実に心地よいが、聖書的な天地創造や自然の神秘の描写などと相まって、西洋文化のエキスを見せられているような気になる。

去年のカンヌのパルム・ドールが東洋の神秘満点の『ブンミおじさんの森』で、今年がキリスト教文明の根源に迫るこの映画だと考えると、最近のカンヌはよほど神秘的なもの、宗教的なものを欲しているのだろうか。あるいは我々の時代の究極の選択が、大きな意味での宗教なのかもしれない。

それにしても今のハリウッドで、このような自らの壮大な哲学を映像化することがよく許されたものだと思う。イタリアのボマルツォ怪物公園の映像が突然出てきたが、そのためだけに撮りに行ったのだろう。そのうえ、過去と現在の結びつきがあれほど弱いプロットがよくハリウッドで通ったと思う。その意味では相当に貴重なアメリカ映画だ。

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