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2011年8月28日 (日)

夜行列車の思い出

1959年のポーランド映画『夜行列車』をほぼ30年ぶりにDVDで見ていたら、文字通り夜行列車が全編に出てきて(つまりこれも乗物の映画)、何とも懐かしかった。かつては国内でも外国でもよく寝台列車に乗ったのを思い出した。最初に乗ったのは、小学生の時。

博多から岡山までの寝台特急で、それから新幹線に乗り換えた。福岡の田舎から20時間くらいかけて東京に着いたのが、金大中氏拉致事件の直後だったから、1973年の夏だ。泊まったのは、彼が拉致された九段のホテルのすぐ近くだとわかったのは、ずいぶん後のことだ。

最初に一人で乗ったのは高校3年生の時で、大阪から寝台でない座席のままの急行に乗った。一晩中起きていたのが楽しかった記憶がある。鉄道にくわしい人なら、列車名がたちどころに出てくるだろうが。

海外で乗ったのは、1984年にパリからプラハに行った時。東駅から乗って、起きたらフランクフルトのあたりだった。プラハに着いたのは夜の7時で、それからホテルを探したくらいだから暢気なものだ。それからはパリを起点に10回以上乗ったと思う。

夜中の3時頃にディエップでフェリーに乗り替えたロンドン行き。マドリッド、バルセロナ、ローマ、ベネチアなど、どこへでもへ安い簡易寝台(クシェット)に乗った。コンパートメントという欧州特有の6人乗りの部屋の中で、気まずい思いをしながら寝たのを思い出す。パリからカンヌ映画祭に行ったのも往復ともにクシェットだった。眠れないで廊下にいると、いろいろな人が声をかけてくる。その頃は怖いと思ったことはなかった。

一等の寝台個室に乗ったのは1980年代末の新婚の頃で、妻と一緒にパリからフィレンツェまで乗った。一応トイレや洗面はあったが、ずいぶんみすぼらしく、がっかりした記憶がある。日本はバブル期だった。映画『夜行列車』でも一等の個室が出てくるが、あんなものだ。この映画ではまさにさまざまな人々が寝台に乗り込んでいるが、雰囲気は1950年代も80年代もほとんど変わっていなかった。
最後に乗ったのは92年夏に、パリからドイツのカッセルにドクメンタを見に行った時のクシェットだろう。ずいぶん疲れて、もう寝台は乗りたくないと思ったのを覚えている。

それからは、国内も海外も、寝台に乗っていない。新幹線(あるいはTGV)や飛行機ばかりだ。今はどの程度寝台車はあるのだろうか。
考えてみると、1990年代以降、世界的にグローバリズムが進行し、民営化が流行となった。旅が味気なくなったのは、その頃からなのかもしれない。『夜行列車』は、寝台列車の一晩を描いたものだが、もはやそんな映画は撮れないだろう。かつて寝台に何度も乗った経験のある方に、ぜひこの映画を勧めたい。いくつもの記憶が突然蘇ってくるから。

そういえば、この映画の監督のカヴァレロヴィッチが亡くなったのは、2007年末で最近のことだ。日本の報道が半月近く遅れたのを覚えている。

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