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2011年8月 6日 (土)

「孫文と梅屋庄吉」展に失望

数日前に「やはり東博(東京国立博物館)は一番」と書いたが、間違いだった。同じ東博で「空海と密教美術展」と同時に本館特別5室(別料金!)で開催中の「孫文と梅屋庄吉」展を見て、そのいいかげんさに失望した。梅屋庄吉といえば、日本映画のパイオニアの一人であるが、その部分がほとんど欠落していたからだ。

梅屋は、日本の映画草創期にM(エム)・パテーという映画会社を作り、1912年に吉沢商会や横田商会、福宝館と共に日本最古の映画会社「日活」設立に加わったパイオニアだ。田中純一郎の『日本映画発達史』第1巻をめくれば、その豪快な仕事ぶりが活写されている。

エム・パテーは、フランスのパテ社と契約を結んで欧米の映画を輸入し、映画も製作している。東西に十数館の映画館網を持ち、大久保に本格的撮影所をオープンさせている。展覧会では映画に関するのは、わずかに有名な白瀬中尉の南極探検の映像のみで、あまりにもったいない。

『日本映画発達史』にはあまり書かれていないが、梅屋はその後Mカシーという映画会社を作っている。田中の別の本によれば、毎月数本を製作し、内外映画のストックは日活に次ぐと言われていたという。

せめてパネルでいいからそのあたりを書いてほしかった。展示物としては、例えば梅屋の自伝『わが影』は現物がある。著書『活動写真撮影術宝典』もある。あるいはMカシーの内外の映画800本以上を集めた営業目録も現存する。それら実物を見せながら、映画の題名が並ぶ目録の一部を拡大して見せたらおもしろいだろう。

この展覧会はそれらに目をつぶり、「100年前の中国と日本」という副題が表しているように、大半は孫文とも梅屋とも直接関係のない当時の写真(それ自体は興味深い)を見せることに終始している。そのうち東博所蔵の小川一真による紫禁城の写真は、同じものを数年前に恵比寿の写真美術館でより大規模に展示したばかりではないか。(立派な)カタログにあるのは、遺族の文章と東博の学芸員による万博と写真をめぐる論考のみ。

関係者の猛省を促したい。9月4日まで。

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