『一命』は問題作
最近見た映画で最も不可解な感じがしたのは、10月15日に公開される『一命』だ。今年のカンヌにコンペ初の3D作品として出品された三池崇史監督の話題作だが、見ていると疑問がどんどん浮かび上がってくる問題作だ。見終わって、ずっしりと見ごたえが残る作品ではあるのだが。
まずなぜこれが3Dかと思う。私は海老蔵が切腹して内臓が飛び出すところを3Dで見せるのかと勘違いしていたが、そうした派手さは極力抑えてある。最も立体的に目立つのは、「寛永○○年」といったクレジットが大きく前面に浮き上がること。後半のいくつかの雪のシーンは立体的というより、電子的な映像に見える。
ほとんどが室内劇。ラストにアクションがあるとはいえ、これも武家の庭の中のできごとだ。あえて遠近感が出ない空間の中で、3Dで立体の微かな機微を楽しませるという日本的実験なのか。
それから海老蔵が変だ。冒頭、胃の底から絞り出すような押し殺した高い声は、この世のものとも思えない。彼が語る家族の物語は、あまりに純粋すぎるような気がする。それ以上に海老蔵はこの役には若すぎた。満島ひかりの父親役なら、武家の老中役の役所広司くらいの年齢が欲しかった。それを敢えてメイクで老けさせることなく若々しさをそのまま出したのも、日本的象徴作用なのか。
そして三池崇史監督得意のアクションは、最後のシーンを除いて封じられている。その代わりに出てくるのは、白い玉砂利に座る海老蔵であり、それを囲む武士たちの集団だ。座敷の背中には巨大な家紋があり、赤い甲冑が飾られている。真っ赤な紅葉と降りしきる雪。つまりあえて「日本的」と言われる要素を誇張して、溝口や黒澤の様式美に遮二無二連なる意志を明確に示している。
三池崇史は『ゼブラーマン』でも『忍たま乱太郎』も何でも撮ることができる、極めて器用な監督だ。『13人の刺客』というかつての名作を換骨奪胎して自分流の残酷で滑稽なアクションに仕立てたように、今回は『切腹』という古典をカンヌ向けに「日本」を強調して作ったということなのか。その芝居気たっぷりな精神には感服するが、今回はちょっと彼らしさが薄まったような気がした。
この問題作を通じて、外国の映画祭に出す日本映画とは何かを新聞や映画雑誌は十分に論じてほしい。9月には同じカンヌ・コンペの川瀬直美監督『朱花の月』も公開されるのだから。
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