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2011年8月30日 (火)

今年の横トリは小粒

3年に一度の国際現代美術展「横浜トリエンナーレ」(横トリ)を見に行った。今年からは事業仕分けで国際交流基金の予算がなくなり、代わりに文化庁の予算はついて、会場は横浜美術館が中心になった。美術館という空間はどうしても解放感がないので、それだけでもお祭り的な雰囲気がなくなるが、展示作品も小粒なものが多かった。

今回のテーマは「OUR MAGIC HOUR」で、「世界はどこまで知ることができるか?」という今風の副題がついている。展示作品は確かにそれに合っている。つまり個人のちょっとした不思議な時間や空間を見せる、というものだ。どの展示作品も気が利いていて、洒落ている。つまりスノッブだ。しかし強いコンセプトやインパクトのある作品はあまりなかった。

現代作家に交じって、横浜美術館が所蔵するマグリットやブランクーシを展示したり、砂澤ビッキの木彫や江戸時代の妖怪文化や怪奇映画のポスターなどからなるコレクションを展示するのも、最近海外でもよく見られるスノビズムだ。時代や文脈をあえて無視して並列に並べる手法だ。だから何だ、とも思うが。

その中で、第二会場の日本郵船海外通倉庫で3階の最後にあったクリスチャン・マークレーの映像作品は、そのコンセプトで度肝を抜かれた。ふらりと展示室に入ると、時計が出てくるさまざまな映画の断片が見えてくる。スチーヴ・マックイーンやケーリー・グラントなどアメリカ映画が多いが、カウリスマキやガッローネや黒澤もある。しばらくして出てくる時計の時間が、少しずつ動いていることに気がついた。そして自分の時計を見ていたら、まさにその時間だったことに気がついて、驚嘆した。
出てキャプションを見てわかったのだが、これは古今東西の映画から24時間分を指す場面を集めて編集したものだった。時間という映画の存在基盤そのものを逆手に取った手法には、正直びっくりした。かき集めの映像自体は、もちろんどうというものではないのだが。

それ以外で心に残ったのは、スン・シュン(孫遜)の手書きのアニメか。マイク・ケリーの未来都市のような彫刻や、キム・リユ(金理有)の不思議な仏像のような彫刻、あるいは、2会場で布や粘土で奇妙な動物を作り上げたデワール&ジッケルなども気になった。

毎度のアピチャッポン・ウィーラセタクンの映像やオノ・ヨーコのインスタレーションは、スノッブ以外の何物でもない。日本の田中功起や冨井大裕、泉太郎などに共通する居直りのようなユーモアは、私には悪ふざけにしか見えない。

第一回の2001年の横トリは、巨大なパシフィコ横浜を使い、大きな作品がこれでもかと並んで、観客を圧倒していた。会場が小さくなり、作品もおとなしくスノッブになり、都現美あたりでやりそうな、単なる今風の現代美術展になってしまった。これでは世界への発信など、ほど遠いのでは。
11月6日まで。

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