佐野眞一の原発本
昨日の「朝日新聞」夕刊に、震災関係の本が4月から6月までで270冊、原発・放射能関係が5月から6月までで150冊出ていると書かれていた。7月に出た分を入れたら、震災、原発で500冊を越しそうだ。そんななかで佐野眞一の『津波と原発』を読んだ。
一言で言うと、かなりヤッツケで書いた本なので、佐野の本では中内功を描く『カリスマ』や正力松太郎の『巨怪伝』などの名著には遠く及ばない。しかし一流のノンフィクション作家ならではの、独特な指摘がいくつかあった。
一つは津波と原発の違いの表現だ。「大津波は人の気持ちを高揚させ、饒舌にさせる。これに対して、放射能は人の気持ちを萎えさせ、無口にさせる。それが、福島の被災者が三陸の被災者のような物語をもてない理由のようにも思われた」。
同じように電力を担う危険な職場の炭鉱と比べても、炭鉱には「炭鉱音頭」が生まれたのに、原発には「原発音頭」は生まれなかったという。「炭鉱労働者が感じる危険さは、漁師が感じる危険さに似ていると思います。誇れる危険さというのかな」。これは最近『「フクシマ」論』で話題の、開沼博から聞いた言葉だ。
もう一つは福島原発の土地について。そこは戦前は陸軍の飛行場があり、戦後はその払い下げを受けた西武グループの堤康次郎が塩田を経営していたという。つまり常に「東京」が利用してきたことになる。
もっと驚くのは、そこがかつて天明の飢饉(1784年)で大量に餓死者が出て人口が半分になった土地だという指摘だ。そこで藩は移民を求め、加賀、越中、越後、能登、因幡から人々が移り住んできたという。因幡と言えば鳥取だ。実際に5代前に因幡から移住したという人の話も載っている。彼らは浄土真宗大谷派の人々で、この土地では「アカシンタチ」と呼ばれて差別されたという。アカは垢のことで、垢だらけの新参者ということらしい。「彼ら”浜通りへの移住者は、“ジプシー”と蔑称される原発労働者のルーツだったような気もしてくる」。こんなことはこれまで誰も書いていない。
佐野は正力松太郎伝を書いているから、この「原子力の父」への記述も力が入っている。
「私たちは正力が導入したテレビの中で展開される、正力がつくったプロ野球の試合を日々観戦し、正力がマンモス的メディアに仕立て上げた新聞でその結果を確認する毎日を送っている。/それ以上に指摘しておきたいのは、私たちのその暮らしが、正力が導入した原発から送られている電力によってまかなわれていることである。/福島第一原発が今回引き起こした重大事故は、私たちがそうした巨大な正力の掌から脱することができるかどうかの試金石となっている」。これは重い。
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