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2011年8月18日 (木)

『小津安二郎の反映画』を今頃読む

吉田喜重著『小津安二郎の反映画』が文庫になったので、初めて読んだ。吉田監督が小津について語るのは、テレビやシンポジウムなどで見ていてわかった気になっていたが、きちんと読むと想像以上に面白かった。蓮實重彦の分析を、実作者の立場からわかりやすく説いているようにさえ思える。

一言で言うと、小津の映画は、いわゆる映画的な効果を捨て去ったところで成り立っている反映画だ、というものだ。

「表現することよりも、表現を極度に省略し、ついには消し去ることのほうが、はるかに有効な真実の手法であるとする、小津さんらしい諧謔にみちた戯れであり、映画があらゆることを自信を持って圧倒的に映し出し、その意味するものを疑いようもなく伝えた表現メディアであるといった他愛のない神話を、いささかも小津さんは信じていなかった証しでもある」

「映画は祝福されるべき新たな創造ではなく、この現実の複製でしかないことを知った小津さんには、むしろ映画のカメラはこの現実、この世界のありようをいたずらに乱す、無用の道具、無法の機械に見えたのではないだろうか」「そして小津さんは、あの事物としての眼差しとしかいいようのない映像を、ただわれわれに示すだけの深い沈黙にみちた、限りなく浮遊するモンタージュを試みるようになってゆくのである」

そうして個々の作品を、普通ならこう撮るが、小津はこういう理由でこう撮る、と分析してゆく。時にはこじつけのような論理もあるが、小津の映画を見ながら感じていた違和感が解きほぐされるような気持ちになる。
小津の映画が、実は映画そのものへの自己言及を基盤にしていることはうすうす感じていたが、このように具体的に示されるとわかりやすい。

それにしても徹底して反映画でありながら、誰もが泣いてしまう、あのメロドラマ性はどうして生まれるのだろうか。思わず素朴な疑問に立ち返ってしまう。

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