またも「辺境の映画」にやられる
上映中のトルコ映画『蜂蜜』もそうだが、「辺境の映画」は強い。9月公開のキルギスの映画『明かりを灯す人』を見てそう思った。そのうえ、『蜂蜜』のような深遠で精緻に作られた世界ではなく、こちらはあっけらかんとしたヘタウマのような映画だ。
監督自ら演じる「明かり屋さん」がいい。呼ばれるとどこにでも自転車で出かけていって、電気を修理する。ついでにバカなことをやらかす。彼には可愛らしい奥さんがいて、彼女が出てくるだけでほっとする。夫の体を洗いながら、話しかける。
明かり屋さんはトタン板の風車で、電気を起こそうとする。まるでドン・キホーテだ。酔って、友人に男の子が生まれないから自分の妻とやってくれ、と頼む。
明かり屋さんは見る。怪しげな政治家たちが、村をおかしくしようとしているさまを。若者が村を去ってゆくのを。中国人の投資家たちがやってきて、村の娘が裸で踊っている場面を。そして怒ってすべてを台無しにする。
見終わって、狐につままれたような気分になった。象徴と現実がこんがらがっている。もう一度見たら、もっと面白い気がする。
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