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2011年9月30日 (金)

芸術家の映画が増えた

最近、日本で公開されるヨーロッパの映画に、有名な芸術家や文学者を主人公にしたものが多いような気がする。ゲンズブールとか、ゲーテとか、少し前だとピアフとかモディリアーニとか。最近見たのは、11月下旬公開のフランス映画『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』。

なぜ今、サルトルとボーヴォワールか。1980年代、私が大学の仏文科にいた頃には、この2人は「かつての流行」としてインプットされた。浅田彰氏がドゥルーズだガタリだと言い始めた時代だ。そして今頃、この2人を初めとしてポール・ニザンやフランソワ・モーリアック、アルベール・カミュら、ずいぶん前のスターたちが、まるでカリカチュアのように軽々しく時代を演じる。

いや、時代は描いていない。むしろセリフだけが飛び交うコントだ。その中で唯一、アンナ・ミュグラリス演じるボーヴォワールが、両親との確執やサルトルとの自由恋愛、そしてアメリカ人との恋愛などのなかで、人間的なドラマを演じる。それにしても何とも抽象的で軽い。

今なぜこの映画を作るのかという疑問と同時に、2006年の旧作を今なぜ日本で封切るのかとも思う。もはや監督名で客は来なくなったし、最近の欧州の俳優は知られていない。名の知られた人の映画なら、観客にとって取っ掛かりと言うか、フックがあるということか。

そういえば、現在公開中のドイツ映画『ミケランジェロの暗号』も、ミケランジェロという有名人の名前が邦題に使われている。ナチスドイツ時代の行方不明の絵画の話。こちらは絵画ファンの心をくすぐる。ヒトラーは出てこないが、「『ヒトラーの偽札』のスタッフが贈る」とも書かれていて、ヒトラーの名前も気になる。物語は実におもしろい展開を見せるが、いかにも軽い。『サルトルとボーヴォワール』にも似て、見終わった後に、ずっしり来るものがない。

サルトルの時代を生きた70代や80代の方が、この映画をどう思うか聞いてみたい。「あんな感じでした」と言われたりして。

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