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2011年10月 9日 (日)

また山形に来てしまった:その(2)

国際映画祭では、コンペ以外のセクションをどれだけ充実できるかが重要だ。その点、山形はこれまでも「日米映画戦」や「世界先住民映画祭」などの個性的な企画があった。今回は「シマ/島」特集の第2弾として、キューバのドキュメンタリーが集中的に上映されている。

私が見たのは、サンアチゴ・アルバレスという監督の60年代の中短編だ。多くは反米のプロパガンダ映画で、まるで第二次大戦中に日本が作った反米ドキュメンタリーなみに趣味が悪い。スローモーションや写真ショットの多様。西部劇のシーンを切り張りして、アメリカ人への襲撃を賛美している場面には、その稚拙さに笑ったけれど。唯一、ハリケーンの被害を撮った映像だけが、今度の震災を思わせるほど強烈だった。

この特集の作品ではないが、キューバ人の審査員、フェルナンド・ロペスの『永遠のハバナ』(2003)も見た。こちらはずっと洗練されていて、貧しいキューバの日常を見せながらも、審美的に構築されている。音楽の使い方も含めて、まるでロシア構成主義のようなモンタージュの技を見せている。最初はおもしろかったが、ずっと見ていると、キューバは貧しいが人々は幸福ですよ、と言っているようでどこかプロパガンダの匂いを感じた。

もう1本、特別招待作品のワン・ビン監督『名前のない男』を見た。かつてこの映画祭で『鉄西区』と『フォンミン 中国の記憶』で2度グランプリを取った監督だ。洞穴の中に一人で住む男を淡々と撮ったもので、いつのまにか季節が変わっていたりする。畑を耕し、できた野菜を煮て食べる毎日。欠けた鍋や茶碗で、ガツガツと食べる。風の音、雨の音、道路の車の音。この男しか出てこないし、何も話さない。人間の生の根源を見た気がした。

洞穴で生活するという点では、もうすぐ公開の彼の劇映画『無言歌』と共通するものがある。『無言歌』は1960年代が舞台だが、現代を描いたこちらのドキュメンタリーとほとんど変わらないのが、皮肉のようだ。監督を間近に見たが、背が低く童顔で、まるで少年のようだ。ジャ・ジャンクーもそうだが、最近の中国では少年のような若手監督がとんでもない映画を作っている。

夜はおでんを食べた後に例の香味庵に行ったが、人が多すぎて2階に上がれず、えんえんと土間で話すことに。

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