教師は聖職
「朝日新聞」土曜beの「悩みのるつぼ」がおもしろい話は先日書いたが、少し前の岡田斗司夫氏の回答にドキリとすることが書いてあった。先生は「立派な人格者であることを無意識に期待する」というくだりだ。
相談は塾の講師を辞めた女子大生のものだが、回答には教師は「社会から義務感を強要される仕事」として、そのような仕事を「聖職」と言うと書かれていた。確かに、小中学校では先生は偉い、少なくとも私の時代は偉かった。しかし、高校や大学の先生は変人もいて、人間として尊敬できない人も多かった。
学生の前では、教える内容について何でも答えられるようにという「義務感」はある。けれど大学の教師に「立派な人格者であること」を学生は期待しているだろうか。自分の学生の頃を考えても、大学の先生に人格を求めた記憶はない。
先日、学生たちと飲んでいる時に飲みすぎて自由に話していたら、学生に驚かれた。「ただの酒飲みじゃん」。やはり人格はともかく、「ただの酒飲み」であってはならない何かがあるのだろう。
「社会から義務感を強要される仕事」というレベルなら、これまで私が就いた職業は、役所にしてもマスコミにしても、そういう面はあった。つまり痴漢をしたら、新聞で大きく取り上げられやすい仕事だ。大学の教師はその可能性はもっと高いかもしれない。とりあえず、飲みすぎたらタクシーで帰ろうと思う。
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