まだまだおかしい東京国際映画祭:その(4)
プレス用の上映に行くと、当然ながら知り合いの新聞記者や評論家、配給会社の人々に会う。そこでは毎年のことだが、プレス向け上映のネット予約システムへの不満を語る。そうした運営のまずさについては後日まとめて書くことにして、とりあえず昨日見た2本について書く。
まずはコンペの『ガザを飛ぶブタ』。かつてこの映画祭でグランプリを取った『迷子の警察音楽隊』と主演が同じ役者だったが、映画のタッチも似ている。パレスチナのガザ地区に住むアラブ人の漁師が、魚の代わりに豚が釣竿に引っかかってしまい、その後の顛末をコメディタッチで描く。
イスラム教では豚は汚れたものと考えられているため、主人公は何とか豚を隠そうとする。そして金網の向こうに住むイスラエル居住地に売りに行くことを思い立つ。イスラム教の教えやイスラエル人との確執を、豚を介在させることでユーモアで皮肉たっぷりに描いていて楽しい。後半になって、リアリティがなくなってファンタジー仕立てになり、おかしさが失速するのが残念だ。
『メカスXゲリン 往復書簡』は、この映画祭の目玉の一つだったので、プレス上映の会場は知り合いが集まっていた。あの伝説のジョナス・メカスが、まだ元気にスクリーンに映っていたのが、何より感動的だった。あいかわらず大声で話し、あるいは歌うようにつぶやく。カメラはがくがく揺れるが、ときおり詩的な瞬間が訪れる。30年前のセントラルパークの映像を、ムヴィオラで覗くメカスのアップ。
一方で、『シルビアのいる街で』で数年前にこの映画祭に忽然と現れたホセ=ルイス・ゲリンの映像は、饒舌なメカスと逆で白黒で端正そのものだ。世界中の映画祭に招かれて各地を旅した時に見た、孤独な風景が続く。
ゲリンの5つ目の手紙で、メカスがいかに偉大かを語っている時に、突然築地市場の映像が現れたのには心底驚いた。映画が東京都心のオフィスを映し出すと、話は小津安二郎に移り、今度の大地震へと移行する。小津の墓が映ると、すべての音が消える。次に波音がしたかと思うと海岸のアリの映像がえんえんと映る。そのシンプルな緊張感は、リティ・パニュの『飼育』の寓話性と共に今年の映画祭のハイライトと言えるだろう。
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