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2011年10月 8日 (土)

また山形に来てしまった:その(1)

1980年代後半から90年代にかけて映画好きを自負してきた者にとって、「山形」は聖地だった。国際ドキュメンタリー映画祭が始まって、世界からアート系の監督たちが押し寄せたからである。キェシロフスキ、ホウ・シャオウシェン、ソクーロフなどなど。2年に1度山形に行くのは当然だった。

そんな習性がいまだに抜けない私は、今年も山形に来てしまった。ほぼ毎回来ているので、会場もホテルも道も暗記している。まるで故郷に戻ったような懐かしさと快さがある。

昼頃に着いて、そのままコンペ作品を3本も見てしまった。ドキュメンタリーを3本も見ると、そこに映し出されているのは世界の悲惨な状況だと、つくづく思う。日頃の生活も、見ている映画も、こんな悲惨さからは遠ざかっていた。

『密告者とその家族』は、テルアビブの路地を描く。そこに住んでいるのは、パレスチナ人だが密告者としてイスラエルへ渡った一家だ。スラムに近い家で、滞在許可もなく生きる彼らは子供まで警察に検挙される。手持ちのカメラは淡々と彼らの日々を追う。

次に見た中国映画『阿仆大(アブダ)』には驚いた。病気の老いた父と暮らすアブダを固定ショットでえんえんと映す。その不潔さはテルアビブのスラムよりひどい。思い出したのはペドロ・コスタの描く、真っ暗なリスボンのスラムだ。聞こえてくるのは隣の生活の音や、鳥や虫の声、雨の音。時には無人の壁を長々と写し、オフで父子の声が続く。

突然雨雲が映り、大雨が降る。すると父はもう棺に入れられている。死者を弔う歌を歌いながら棺を持って山道を歩く数十人の人々が遠くに見える。何の説明もない。最後はリンゴを拾いながら歩くアプダ。

恐るべき執拗さと繊細さの共存は、相当の力量だと思った。グランプリかもしれない。監督の和淵(ホー・ユエン)という名前を憶えておきたい。

夜に見た『殊勲十字章』では、初老の父が二人の息子(うち1人は監督)にベトナム戦争のことを語る。冗談を交えて笑いながら話すが、とんでもない話だとわかってゆく。殺したベトナム人の数を増やすために、子供を殺した話に慄然とする。当時の映像も時折交じる。殺された子供たちを点検し、なぜか口にトランプのカードをくわえさせるアメリカ兵たちが映る。この悲惨さも忘れてはいけない。

夜は、3月に卒業して山形に住む教え子と飲む。山形牛のタタキや芋煮を食べた。至福のひととき。

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