吉本隆明の『真贋』に笑う
たぶん30年ぶりくらいに、吉本隆明の本を読んだ。文庫になった『真贋』で、最近の著作だ。帯に「自分の親だということを忘れてのめりこんだ よしもとばなな」という文字があったので、気になった。読んで、笑ってしまった。
吉本隆明といえば、私の前の世代の旗手だった。大学に入ったばかりの時に、とりあえず『共同幻想論』と『言語にとって美とは何か』を文庫で買ってときおりめくったが、最後まで読んだことはない。「サルトルと同じで、今さら読むものではない」という先輩の言葉を信じてそれきりになった。
そして『真贋』を読んでみたら、まさしく老人の戯言だった。しかし戯言でも、妙なところがおかしい。どうでもいいことを自信満々に話している調子が微笑ましい。
ひどく俗っぽいところがある。例えば埴谷雄高がある論争で、吉本の家にシャンデリアがあることを非難したことに反論するくだり。「埴谷さんは、一種の昔流の古い時代の左翼ですから、金持ちはけしからんの一本槍です」。確か吉本が『アンアン』にコムデギャルソンの服を着て出た時も埴谷は批判したが、さすがにこれは書いていない。どちらにしてもどうでもいい昔の話だ。
あるいは安原顯という編集者が小説を書いて、それを吉本がほめたことを村上春樹が批判したことに対する反論。どうでもいい話である。そういえば、私自身が安原氏にひどい目にあったことを思い出した。
あとは、老人力的な、思い込みの楽しさがある。いい生き方とは、自分が持って生まれた運命や宿命に素直に従って生きることだという。その運命は母親との関係で形成されたものらしい。本当かな。
老人らしいバカ顔にならないためには、「顎から頬の下のあたりを、三十秒から一分でいいから、乾いた布でこするとかなりの効き目があります」。この具体性。
「戦争だけはすべて悪と断定できる」。とにかくこの人の強さは断定にある。
文学論も少しある。「文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、僕だけにしかわからない、と読者に思わせる作品です」。これはうまい。
誰かが書いていたが、吉本隆明の最大の仕事は、よしもとばななを生んで育てたことにある、というのは本当かもしれない。
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